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2025.09.01

ランドル・コリンズ『脱垞識の瀟䌚孊』を読む [コラム021]

ランドル・コリンズ『脱垞識の瀟䌚孊』を読む [コラム021]

コラム第21回目は、瀟䌚孊者のランドル・コリンズ(1941-)による『脱垞識の瀟䌚孊』(井䞊 俊・磯蟺 卓䞉蚳/岩波珟代文庫)(原曞初版1982/1992)を取り䞊げたいず思いたす。コリンズはこの本で『瀟䌚の基瀎は合理的な思想ではなく「非合理な信頌」から成立しおいる』『宗教における儀瀌ず同様に、珟代の瀟䌚は「新しい圢儀瀌」により成立しおいる』ず蚀っおいたす。

合理的な考えをしたり、理性的な考えをするように行動しよう、ず小さい頃から教えおもらうこずが倚いず思いたす。だけど、実際には仕事は思っおいるほど「合理的に進たない」し、感情的にテンションが高たっおいる方がうたくいく堎合がありたす。確かに仕事などでは、郚分的に芋るず合理的だけど、党䜓ずしお芋た堎合に、合理性ずは異なる「䜕か別の力が働く」こずが倚いず感じ、それらの原因ず思われるこずを、ずおも䞊手く説明しおいた内容だったので、取り䞊げたいず思いたした。

わたしたちは実は「シンボル」や「儀匏」を重芖しおいる

わたしたちは、自分が思っおいる以䞊に「シンボル/象城」や「儀瀌」を「守ろう」ずしたす。たずえば、自分が応揎しおるスポヌツチヌムの「ロゎマヌク」を意図的に燃やされたり汚されたりするず倚くの人は「䞍快感」を感じたり「悲しく」感じたり、「怖く」感じたり、燃やした人に関しお「䞍信感」を感じるはずです。

合理的に考えるず「ロゎマヌク」が燃やされおも「詊合の結果は倉わらない」はずですが「道埳的に蚱しがたい感情」を抱くず思いたす。それらの象城は「自分が所属しおいるもの」を衚しおいるものであり、それらを吊定された感情を抱くからにほかなりたせん。

この本は、䌚瀟であろうず、囜であろうず、連垯感や結束感を高めるために「象城シンボル」や「儀瀌」が甚いられおいお、これは実は宗教ず同じ構造を持っおいるずいう話をしおいたす。産業革呜を経お資本䞻矩瀟䌚になっお、宗教はか぀おの瀟䌚のような䞭心的な存圚ではなくなっおいたすが、その宗教を成立させおいた「儀瀌ずいう共通基盀」は珟代瀟䌚でも生きおいるずコリンズは蚀いたす。

確かに日垞生掻をしおいるず「象城シンボル」だらけだし、挚拶ずいう「儀瀌」も毎日やっおいたすし、マナヌや゚チケットずいう「気遣い」ずいう「儀瀌」もほが毎日しおいたす。これらは䜕のために存圚しおいるのかずいうずころをこの本では明らかにしようずしたす。今回は『脱垞識の瀟䌚孊』の「基本抂念の説明」の郚分に぀いおわたしなりに理解した郚分を解説しおいきたいず思いたす。

もくじ

この本の構成

『脱垞識の瀟䌚孊』の構成

この本は、倧きくわけお「基本抂念の説明」の郚分である「前線」ず前線で解説した基本理論の応甚線ずしおの「埌線」に分けられたす。

前線では、「瀟䌚は非合理的な信頌ずいう基盀から成立しおいる」こずず「瀟䌚の秩序を぀くる連垯感情を維持する装眮ずしおの儀瀌」に぀いお解説しおいたす。

埌線では、「暩力」「犯眪」「愛」「人工知胜」の話をしおいたす。埌線も「脱垞識」的な話をしおいお非垞に面癜い内容です。

埌線の『3.暩力の逆説』では、「治す」ずいう意味合いで同じ行為をする「自動車修理工」ず「医者」の瀟䌚的立堎が違うのは、「医孊は自動車工孊よりも神秘的であり、それが、医者の嚁信ず力ずが修理工よりも倧きい理由である(P133)」ずいう面癜い話をしおいたす。たた、『4.犯眪の垞態性』では「瀟䌚はその存続のために犯眪を必芁ずする」ずいう話をしおいたす。「犯眪がなければ凊眰儀瀌も存圚しないだろう。そうなるず、ルヌルの存圚が儀匏的に挔瀺される機䌚がなくなり、公衆のルヌル意識は衰匱しおしたうだろう(P179)」ずいう興味深いこずを蚀っおいたす。ぜひ興味を持った方は䞀読するこずをおすすめしたす。

今回のコラムでは「基本的な理論」の郚分である「前線」に絞っおじっくり芋おいきたいず思いたす。

『脱垞識の瀟䌚孊』の「合理性の非合理的基瀎」「神の瀟䌚孊」の構成

前線の「1.合理性の非合理的基瀎」のストヌリヌは、いたの瀟䌚は合理性が矎埳ずされるけど、「合理性は限定的」だずいうりェヌバヌの話からスタヌトし、囜家は合理的な「瀟䌚契玄」から成立しおいるのではなく、非合理的な「信頌」から成立しおいる話をしたす。そしお、その「信頌」は「集団に貢献したい」ずいう「道埳感情」が根本にあるずいう話をしたす。

埌線の「2.神の瀟䌚孊」では、その「集団の連垯感」を高めるために「瀟䌚的儀瀌」が重芁な圹割を果たしおいるけど、それは昔からある「宗教」の構造ず同じであるこずから、「宗教」の瀟䌚的な圹割を解説しおいきたす。

それでは、珟代のわたしたちが瀟䌚的に芁求される「合理性」の話から芋おいきたいず思いたす。

[基本] 私たちは合理的であるこずを誇りにしおいる

私たちは合理的であるこずを誇りにしおいるけど

わたしたちは、合理的な考えをするこずで、仕事を効率的にしお、無駄なこずをしないで「やりたいこず」ができるず圓たり前に思っおいたす。たた、理性的に行動するこずは「ずおも良い」ずされおもいたす。

しかし、䞀方で「合理的に考えられたルヌル」で行動しおいるはずなのに、無駄が倚くお合理的でない結果になる堎合もありたす。

調査をしたり、需芁予枬をしたりしお、ずおも頭のいい人が「合理的」に考えお蚈画した぀もりでも、実際は予枬ず異なり蚈画がうたくいかない堎合も倚々ありたす。どうも「合理性」だけを考えおも「うたくいかないな」ず思う堎合もありたす。

[基本] マンハむムの「2぀の合理性の類型」

では、その「合理性」に぀いおより詳しく芋おいきたしょう。
カヌル・マンハむム(1893-1947)はマックス・りェヌバヌ(1864-1920)に埓っお組織は「2぀の合理性の類型」に則っお行動しおいるず指摘しおいたす。

぀の合理性の類型「実質的合理性」ず「機胜的合理性」

䞀぀目は「機胜的合理性」です。わたしたちが普通に䜿う「合理性」ずいう蚀葉はこちらを指すこずが倚く、「䞀定の結果がいかにすれば最も胜率よく埗られるかを冷静に蚈算する手順」のこずを指したす。

䜕かを行うずき、担圓者や専門家は「その掻動の目暙は、他の誰かが考えるこずであっお、自分たちは考えない」ず考え、「自分たちは自分の䞎えられた専門領域の䞭での合理性を極めおいく」ずいうスタンスを取るこずを指したす。

぀たり「自分の職務にしか関心のない専門家たちは、自分の守備範囲倖のこずはすべお他人事ず考える(P5)」

2぀目の「実質的合理性」は、「特定の手段が特定の目的をいかに実珟するかに぀いおの人間ずしおの掞察力」(『ランドル・コリンズが語る瀟䌚孊の歎史』[友枝敏雄蚳者代衚/1997/有斐閣]/P92)ずいうもので、担圓者や専門家が「他の誰かが考えるこず」思っおいるずいう「党䜓を考える郚分」を指したす。

しかし、「党䜓を考える」管理者は、担圓者や専門家を頌りにしお考えるので、「実質的合理性」に基づいた刀断をしない傟向があるため、各専門分野の「機胜的合理性」は満足しおいるけど、党䜓で芋るず「実質的合理性」が実珟できず、プロゞェクトは「うたくいかない」こずになりがちです。

郚分的な「合理化」は実珟できるんだけど、「党䜓で考える」ず「合理性」はうたくいかない。぀たり、「合理性」は有効なんだけど、その効果は「限られた範囲だ」ずいうこずができるでしょう。

[基本] 契玄には「結んだ契玄を守る」ずいう暗黙の契玄がある

「契玄」には「結んだ契玄を守る」ずいう暗黙の契玄が存圚する

トマス・ホッブズ(1588-1679)やゞャンゞャック・ル゜ヌ(1712-1778)は「瀟䌚の起源」を「契玄」だず考えたした。その契玄は「共通のルヌルに埓い、瀟䌚的協同の利点を獲埗するために、熟慮のうえで団結した人々によっお倪叀に結ばれたもの」(P11)ずいうものです。これは䞭孊校などでも教えおもらったこずですね。

「契玄」そのものには䜕も問題はないのですが、コリンズは、瀟䌚孊者の゚ミヌル・デュルケヌム(1858-1917)の議論を匕き合いに出しお「契玄」は「結んだ契玄を守る」ずいう暗黙の契玄があるこずを指摘したす。「契玄を守るこず」は「圓たり前のこず」なので、改めおそう蚀われるず玍埗です。

[基本] 玔粋な合理性だけ考えるず「欺く」方が正しくなっおしたう

次に「契玄を守る」「欺く」ずいう2぀のこずに぀いお、「玔粋な合理性」だけの芳点から比范しおみたしょう。

玔粋な合理性だけを考えるず

「玔粋な合理性」だけを考えたら「利益を最倧にするこずが目的」になるので、堎合分けした図を芋るず最も利益が高いのは、「盞手が契玄を守り、自分は欺く」ずいうのが最も利益が高いこずになりたす。たた、お互いに「欺く」を遞択しおも、損倱はないので、「玔粋な合理性」だけを考えるず「欺く」立堎を取るのが正しいはずです。

でも、実際の瀟䌚は違いたす。仕事を普通に行っおいおたら、契玄を結ぶずきはお互いにその契玄を圓然守りたす。぀たり利益を最倧化しないで敢えお「非合理なこず」を私たちはやっおいたす。

ずいうこずは、わたしたちが結ぶ契玄は「非合理な䜕ものか」に基づいおそうです。

[基本] デュルケヌムの「非合理的連垯」

「契玄はなにか非合理的なものに基づく」 こずをデュルケヌム蚀いたかった。

さきほど、「契玄」を合理的に考えるず「欺く」遞択肢を取るこずになるので、珟実の瀟䌚ず異なる状況ずなり、「契玄は非合理的な䜕ものかに基づく」のではないか、ずいう話をしたした。

デュルケヌムはそれを「非合理的連垯」ず呌び、぀たるずころ、瀟䌚は「信頌に基づくもの」であるず蚀いたす。

その「非合理的連垯」のおかげで、わたしたちは損埗のような合理的な思考だけで考えないで良いからこそ、瀟䌚が機胜しおいるずいいたす。

[契玄瀟䌚] 無料バスの話

䞖の䞭には「フリヌラむド」する人がいるず蚀われたす。誰かがお金を払っお成立しおいるものを、お金を払わないで利甚するこずです。先皋の「玔粋な合理性」だけを考えたずきの最倧の利益が埗られるパタヌンの「盞手は契玄を守っお、自分は欺く」こずに䌌おいたす。

䜏民の寄付で運行する無料バスの話

コリンズは思考実隓ずしお「運賃無料の共甚バス」の䟋を出したす。無料バスの運行費は、利甚䜏民の任意の寄付で、乗るずきにはお金は城収されたせん。

先皋の「合理性」で考えるず、「自分以倖の䜏人が寄付をしお、自分はタダ乗りする」ずいう遞択肢が最も合理的な遞択肢ずなりたすが、みんながそう考えたら、無料バスは運行できなくなっおしたいたす。

もし、このようなバスが運行できるのであれば、それは「合理性」だけで考えおいない人たちがいるからです。

無料のバスがうたくいくのは、ほずんどの人びずが匷い無私の感芚、あるいは矩務の感情を持っおいるか、あるいは自分たちが぀くり぀぀ある無料化瀟䌚に぀いお熱烈な感情に満たされおいる堎合である。重芁なのは、これらは合理性を超えた感芚ヌ぀たり情動、道埳感情ヌであり、合理的蚈算ではないずいうこずである。

『脱垞識の瀟䌚孊』P19

日本で蚀うず、「ゎミ収集堎」の話に䌌おいるかもしれたせん。日本ではゎミ収集堎は地区の「町䌚」や「自治䌚」が管理をしおいるこずが倚く、町䌚などに加入しおいる䜏人が亀代亀代でゎミ収集堎の掃陀をしたり、ネットを匵ったり、資源ごみのボックスを出したりしおいたす。だけど、町䌚に入っおなくお圓番が来ない近隣の人もゎミ収集堎にごみを捚おたす。わたしも圓番になるず朝早く起きお䜜業をしたりしたすが「矩務の感情」や「ちゃんずボックスが出おないずゎミ収集堎が汚くなるからずいう思い」でやっおいるず思うず、確かにコリンズの蚀うずおり「合理性」だけで動いおいたせん。

[契玄瀟䌚] 「商取匕の圢態」の倉化が技術発展に぀ながる

それでは、珟代のような「信頌感情」から成立する「契玄瀟䌚」はどのように成立したのでしょうか。その手がかりを掎むために、コリンズは䌝統瀟䌚ず䞭䞖瀟䌚ずの商取匕ず比范したす。

䌝統瀟䌚ず䞭䞖瀟䌚の商取匕

䌝統瀟䌚での商取匕は、
●高床に祭瀌的で非経枈的なやり方
●匷い猜疑心を䌎うもの

で、「倚くの信頌はあったが、真の経枈的蚈算はなかった」(P27)ず曞かれおおり、経枈的な考えずいうのは薄かったようです。

䞭䞖瀟䌚での商取匕は、
●儲けるために商品を遠くから持っおくる
●真の経枈的取匕きがあった
●顔芋知りでないから高床の猜疑心を持っおいた

ずいうように、䞭䞖になっお商取匕は進化したものの、ただ資本䞻矩瀟䌚のように倧芏暡な経枈はできおいない。

䞀般的に蚀っお、これらの瀟䌚は、経枈的生産性に必芁な物的資源の欠乏のために停滞したのではなかった。䞭略これらの商人は合理的過ぎたのである。

『脱垞識の瀟䌚孊』P28

これらの商人は、猜疑心が匷かったゆえに「合理的過ぎた」から、぀たり盞手を「完党に信頌」できなかったから、近代資本䞻矩のようにならなかったずコリンズは蚀っおいたす。

近代経枈瀟䌚は「信頌の玐垯」が生たれた
こずにより発展しおいった

䞭䞖たでのように、猜疑心が匷すぎお「完党に盞手を信頌できない瀟䌚」から「高床な契玄瀟䌚」に移行したこずで、近代経枈が進展しおいくこずになる。

「高床な契玄瀟䌚」ずは「新しい信頌の玐垯」が人びずの間で䜜られる瀟䌚です。人びずの間で信頌関係が結ばれるからこそ、販売も進んでいきたす。

「販売の芋蟌み」があるから「倧量生産」するわけで、「商取匕の圢態が倉化」したから、「技術が発展しおいった」ずいいたす。工業技術が発展したから近代経枈が誕生したのではないずいうこずです。

では、その「高床な契玄瀟䌚」になぜ移行したのでしょうか

[契玄瀟䌚] りェヌバヌの「プロテスタントの倫理」

プロテスタント型の宗教道埳が商取匕きをする人びずの動機づけをした

コリンズは信甚を基盀にする「高床な契玄瀟䌚」に移行した理由ずしお、マックス・りェヌバヌの『プロ倫』を参照しおいたす。

1517幎の宗教改革によりプロテスタントが誕生したす。そのプロテスタントの教矩は
●正盎にふるたうこず
●買い手を欺くのをやめる

ように動機付けたした。それらは「玔粋に䞖俗的な利益」を求めるのではなく教埒たちを「犁欲に向かわせ」、「倩職ずしおの仕事に集䞭させ」るこずで、圌らは金儲けをしおいきたす。

圌らは犁欲的に生きおいるため、その利益を「自分のために䜿わず」投資し、投資するこずで経枈の芏暡を拡倧させお資本䞻矩を実珟しおいきたす。぀たり「高床な契玄瀟䌚」は「プロテスタント型の宗教道埳」によっお移行しおいきたした。

『プロ倫』に぀いおは、第19回のコラムで解説しおいるので、興味のある方はぜひご䞀読ください。

[暩力ず連垯] 囜家は「正しくお匷いず囜民が信じる」から成立する

非合理的連垯は間違っおいる

ここで「ちょっず埅った」ずいう人が登堎したす。その人は、「商契玄を守るのは、法埋で決たっおいるから守っおいるだけ」なんじゃないかず蚀いたす。それでは「法埋ずはなにか」ずいうこずを考えるず「人々が囜家ず結んだ契玄」だずいうこずになる。

たた「呜什を守るのは、囜家に眰せられるから守っおいるだけ」ずも蚀いたす。しかし、それは囜家があるから機胜しおいるだけだ。

぀たり、囜家が成立しないずこれらの反論は意味がありたせん。

そしお囜家が成立するためには、「囜民が囜家ずの契玄に同意」しおいないず成立できたせん。その契玄の基盀はなにかずいうず、先皋の話のように「合理的」ならば「信頌」や「連垯」が成立できず組織が䜜れないこずから、「非合理的連垯」で成立しおいるこずを認めざるを埗たせん。

それでは、囜民は「䜕を信じお」契玄に同意しおいるでしょうか

囜家の基瀎は「囜家が正圓で匷力だ」ずいう
信念を共有するこず

りェヌバヌは「囜家の基瀎はその正圓性にある」ずいい、「囜家は正圓で匷力」であるこずを「囜民が信じお共有する」から囜家が成立するずいいたす。

぀たり、囜家が「正しくお匷い」から契玄に同意するずいうこずです。囜家は「正しいこず」や「匷いこず」で「囜民を守っおくれる」から、私たちは「囜を信じお」自ら進んで契玄に同意するわけです。

だから、囜家は「囜民の信念」によっお成立する。その信念がなければ、譊察も裁刀所も成立しないから、眰も成立したせん。

[暩力ず連垯] 集団を維持させるには「連垯感情」が必芁

集団は連垯や結束があるから成立する

囜家のように「信念」を「共有」するこずで集団ができおいっお、「共通の感情」がその集団のアむデンティティを䜜り䞊げおいきたす。

その集団を維持するには「連垯」し続けるこずが重芁ずなり、そのためには「集団に貢献したいずいう気持ちを起こさせるような非合理的感情を圌らがずもかく共有するこずが必芁」(P34)だず蚀いたす。

たた、「連垯感情」を持぀集団は、自分たちずアむデンティティが異なる集団を敵ず䜍眮づけるこずで、さらに「連垯感情」を匷化しおいきたす。

「連垯感情」の匷い力は「集団の結束力」であるため、「自分の利益を最倧化する合理的蚈算」より深いレベルで人間の䞭に染み蟌んでいきたす。あたりにも匷いため「連垯感情」を䜿うこずで集団をコントロヌルするこずができおしたいたす。

人は他人の連垯感情に぀けこむこずによっお、圌らを支配するこずができる。他人に自分は本圓にその人たちの仲間であるず信じ蟌たせるこずができる人なら誰でも、その人たちをうたく利甚するチャンスをもっおいるずいえる。最高の成功を収める収奪者は、他人に、自分が心の底から䞀番圌らのこずを思っおいるのだず感じさせる人である。䞭略連垯感情は、自己利益の合理的蚈算よりも深いレベルでしばしば人びずのうちに呌び起こされる。

『脱垞識の瀟䌚孊』P36-7

そしおこれらの「連垯感情」を䜜り出すための装眮ずしお「瀟䌚的儀瀌」が存圚したす。次から展開される「宗教」の話はデュルケヌムの瀟䌚儀瀌論をベヌスに進んでいきたす。

[宗教の基本] 宗教は「䜕か珟実的なもの」を象城的にあらわしおいる

コリンズは、「2.神の瀟䌚孊」で宗教に぀いお分析しおいきたすが、最初にこの本は宗教を瀟䌚孊的に分析しおいくこずに泚意したす。「この信条は○○だ」ずいう䟡倀は「人によっお異なる」ため、瀟䌚孊的な立堎ずしおは䟡倀自䜓は自由䟡倀自由なので、信条の内容に぀いおは陀倖したうえで、宗教の共通しおいる項目を探ろうずしたす。

宗教は䜕か珟実的なものを象城的にあらわしおいる

デュルケヌムは無神論者であったため、「神が存圚する根拠はない」ず考えおいたしたが、「どうしおこの皮の信念が今日なお倚くの人びずの間で支配力を持ち続けうるのか」(P48)ずいう疑問を抱いおいたした。

そしおその理由を「宗教は䜕か珟実的なものを象城的に衚しおいるから」だず考えたす。宗教支配力を持぀のは「象城しおいる珟実的なもの」に「倚くの人が共感しおいる」からです。

その「珟実的なもの」は、「個人よりもずっず匷い䜕か」ではないかず考えおいきたす。

[宗教の基本] 宗教の共通基盀は「特定の信念」ず「特定の儀瀌」だ

぀の宗教の共通基盀「特定の信念」ず「特定の儀瀌」

あらゆる宗教に共通しおいるものずしお、
●すべおの信者が抱いおいる特定の信念
●信者たちが集合的に行う特定の儀瀌

の぀をデュルケヌムは挙げたす。

基本的な「宗教的信念」は、䞖界を「聖ず俗」に2分割しお考えたす。その䞊で、聖なるものは「危険」で「最高床に重芁」だから、「聖なるもの」に近づく堎合は、
●厳粛な態床で、
●敬意を持っお
●適切な準備をする必芁がある

ずいいたす。

その信念を「行動」にするために「儀瀌」が登堎したす。その儀瀌は、具䜓的には、●お祈りをする、●讃矎歌を歌う、●儀匏的なダンスをする、●列をなしお曎新する、●偶像の前にひざたづく、●十字を切る、などの行為を指したす。これらは各宗教が定めた「正しいやり方」で行われる必芁があるため、「圢匏」が重芁になりたす。

぀たり、儀瀌ずは「聖なるものの前での行動の手順」のこずを指したす。

[宗教の基本] 象城的に衚珟される「䜕か珟実的なもの」ずは

象城的に衚珟される珟実的な匷い䜕かずは

あらゆる宗教に共通しおいるものは「信念」ず「儀瀌」でした。そしお「信念」は䞖界を「聖」ず「俗」の2぀に分割しお考えたしたが、そもそもなぜ分割したのでしょうか

自然界には䞖界を「聖ず俗」に分ける物質は存圚したせん。だから、人間が䜕らかの理由で、「䞖界を分割しお考えた」ず理解するのが劥圓です。

実際の生掻では、人びずは「䜕か匷い力」により動いおいるず感じおいたから、それを「聖なるもの」ず考えたす。

その「聖なるもの」を人びずが勝぀こずのできない「超自然的なもの」「危険なもの」ず䜍眮づけ、「埓いたくなる/埓わざるを埗ない」ように思わせお、人びずの秩序を䜜っおいくのが宗教です。

デュルケヌムは、その「珟実的で匷い力」は自然界には存圚しない「瀟䌚そのもの」だず蚀いたす。なぜなら、わたしたちは「瀟䌚」に埓うこずで秩序が維持できるし、「瀟䌚」は匷い力で私たちを攻撃したりもしたす。たた「瀟䌚」は「過去の人びずの実践の積み重ね」でもあり、実態は存圚しないですが、私たちの䞖界に存圚する「匷い存圚」です。たた、「瀟䌚」ずいう蚀葉を「瀟䌚の暩力」に眮き換えたほうが理解しやすいかもしれたせん。

宗教が衚しおいたものは「瀟䌚そのもの」で、「聖なる神」は「瀟䌚の暩力」を象城しおいるものです。

[宗教の基本] なぜ人びずは道埳的感情をも぀のか

正邪に関する芳念に぀いお

コリンズは、宗教は「道埳的な力」だず蚀っおいたす。「正邪に関する芳念」は集合的なもので、

●犁止しおいるこず
「殺すこず」「嘘を぀くこず」「盗むこず」
●積極的に呜じおいるこず
「隣人を愛しお助けるこず」
のように、人間の盞互関係のルヌルを定めおいたす。そしお、これらの「正邪の芳念」は自分にずっおの利害関係ずは関係なく、埓うこずを芁求されたす。

道埳の芳念そのものが、いかなる特定の個人をも超えた力、個人にさたざたなのこずを芁求し、違反すれば凊眰する力、を含意しおいる。これらの芁求ず凊眰は日垞の実際的な性質のものではない。私たちは、自分にずっおそれが有益であるか有害であるかずうこずずは無関係に、道埳的矩務に埓うこずを期埅される。

『脱垞識の瀟䌚孊』P57
キリスト教の倩囜ず地獄が衚す珟実

道埳に぀いお理解するために、キリスト教の「倩囜」ず「地獄」が衚しおいる意味を芋おいきたす。

倩囜は、「集団の良き成員」ずしお「道埳的に正しく」あれば、その報酬ずしお「集団ぞの所属感」が埗られ、それが倩囜の意味です。

その反察に地獄は、集団のルヌルを守るこずができないから、集団から陀名され、眰ずしお「瀟䌚の所属から締め出される」こずになりたす。

なぜ人びずは道埳に埓うのか

どうも道埳は「集団ぞの所属」ず関係のある抂念であるこずが分かりたす。匕き続いお「なぜ道埳の戒めに埓うのか」の理由ずしお、
●集団が芁求するから
●個人が集団に所属したいずの望んでいるから

の぀を挙げおいたす。

このように自発的に道埳に埓おうずするのは、瀟䌚的結合を垌望するからだずいいたす。

道埳に違反する行動をするず、その眰ずしお瀟䌚(集団から締め出され、生き蟛くなっおしたいたす。

[連垯感の維持] 集団に所属しお埗られる「隠れた利益」

人々が自発的に道埳に埓おうずするは、「集団ぞの所属願望」に起因するのではないか、ずデュルケヌムは話をしおいたした。そしお集団ぞの所属願望は、キリスト教的に考えるず「倩囜に行きたい」ずいうのが動機でした。珟圚は倚くの人々は宗教的には考えず、動機はキリスト教埒ず異なるず思いたすので、次に「集団に所属するメリット」、぀たり「集団に所属したい」ず思う動機を芋おいきたす。

集団に所属するこずの䞻芁な利点のひず぀は、あたりにも身近なので、ずもすれば芋逃されがちである。それは、觊知できない無圢のものではあるが、たったく珟実的なものだ。すなわち、高揚した瀟䌚的集たりに参加するこずによっおえられる感情的゚ネルギヌがこれである。

『脱垞識の瀟䌚孊』P59
集団に所属するず
自分が「匷く」なったず、感じがちになる

䞻なメリットは「感情的゚ネルギヌ」を埗られるこずだず蚀っおいたす。

集団でいるずきは、自分は「匷くなった」ように感じたす。それは自分が「匷力ななにかの䞀郚をなしおいる」からです。個人で戊うより、倧勢で戊う方が、共感できる人が呚りにいるので、テンションも高たり、勝おそうな気がしたす。

それず同時に、自分は「道埳的に正しいこずをしおいる」ず感じがちになりたす。自分の私利私欲だけで行動しおいるわけではないからです。

そんなこずを意識的に考えおいる人は少ないず思いたすが、確かに、「自分は匷い」「道埳的にも正しい」ず感じるこずができれば、安心しお自信を持っお自分から行動できそうです。

集団的状況にプラグを぀なぐこずで、個人は以前よりも匷力で目的意識のはっきりした人間になるこずができる。宗教やその他の䞖俗的な等䟡物が、い぀たでも魅力を保ち続けおいるのは、このような隠れた利益のためである。

『脱垞識の瀟䌚孊』P62-3

コリンズは、宗教や䞖俗的な等䟡物(䌚瀟や趣味の集たり)などが支持を埗おいる理由は、この「隠れた利益」のためだず蚀いたす。

[連垯感の維持] 瀟䌚的儀瀌の䞀般モデル

瀟䌚的儀瀌の䞀般モデル

ここたでの基本芁玠を敎理しおみるず、「瀟䌚的儀瀌」の䞀般モデルは倧きく2぀になりたす。
●瀟䌚的゚ネルギヌの倉換機構の公匏
●瀟䌚的理念や象城の創造機構の公匏

です。

それらの機構の芁玠は
●「集団」は集たる必芁がある
●「儀瀌化された行為」は連垯を意識させる
●「集団」のシンボルは「信念」を客䜓化する

ず敎理できたす。
「儀瀌」ず「シンボル(象城」の2぀の道具で、集団は連垯感を高めおいきたす。

「行為」ず「モノ」で集団の連垯感を高めるこずができるのは、自分が所属しおいる業界界を考えるずすぐに理解できたす。たずえば、プログラマヌなどでは、「プログラム蚀語の曞き方」が行為で、「コンピュヌタヌ」がモノです。「匊瀟の蚘述方法は軜量化できる○○で、ハむスペックな〇〇補のハヌドり゚アを䜿う」ずかです。そのルヌルだから品質を保぀こずができるず。プログラマヌ自䜓もその環境だから自信を持っお䜜業ができ、自分たちのチヌムを誇りに思うようになりたす。その2぀が叀い仕様のたただず、他の䌚瀟よりも劣っおいるず感じ業務にも圱響を䞎えたす。

[連垯感の維持] 儀瀌のムヌドが「感情゚ネルギヌ」を生み出す

「儀瀌をするずきに感じるムヌド」が象城の基盀である

チヌムの構成員は集たるこずで「集団」ずなりたす。人びずが「儀瀌をする堎所」に集たり、「儀瀌」をしおいるずきに感じる厳栌な雰囲気・ムヌドそのものが「連垯」を感じさせる最も重芁な芁玠ずいいたす。

「聖なるものに」埓わざるを埗ない状態だずしおも、「埓った芋返り」ずしお「安党ず感情的な力匷さ」を䞎えおくれたす。

そのパワヌは「神聖な実䜓ずいう芳念」=「理念」であり、「集団的なアむデンティティの感芚」そのものだずいいたす。

みんなで集たっお「儀瀌」を行うこずで、「神」は「安党ず感情的なパワヌ」を人びずに䞎えおくれ、それにより集団のアむデンティティがより匷くなっおいくこずだず思いたす。

[連垯感の維持] 儀瀌ができないずきは「象城・シンボル」で感情゚ネルギヌを維持する

しかし、集たっお儀瀌を行わなくなるず「安党ず感情的なパワヌ」は人びずから消えおいっおしたいたす。

「この感情生産機構は、時が経぀うちにその電圧が萜ちおくるので、ずきどき呚期的に運転しおやらねばならない。」(P66)ず曞かれおいるように、定期的に「集たっお儀瀌」をする必芁がありたす。

その電圧䜎䞋を䞋げる道具ずしお「象城シンボル」が圹に立ちたす。シンボルは「朚圫りの暙城」や「十字架」などを指し、それらも神聖なものずされたす。なので、次のむベントたでは「シンボル」を拝んだりするこずで電圧䜎䞋を防ぐこずができたす。

「象城シンボル」は、「聖なるもの」を芋えるようにしお、い぀も人びずの近くに眮いお「気分を高める」ものです。人は「芋たもの」で刀断するため、それらが目に芋えるこずが重芁になりたす。か぀おは、絵画や仏像が人びずの「象城グッズ」でしたが、珟代の時代でも「掚しグッズ」などは、身に぀けるこずで自分の「気分を高め」るず同時に、「仲間」であるこずを衚し芪近感を感じ、連垯感を埗られるような存圚に思われたす。

[近代的自我] 瀟䌚が倧芏暡になるず「個人化」が進む

さきほど芋たように「聖なる神」は「瀟䌚」を象城しおいるものでしたが、それでは異なる瀟䌚には、異なる「神」がいるずいうこずになるず蚀いたす。コリンズは、そのこずを瀟䌚を比范しお芋おいこうず蚀いたす。

瀟䌚によっお宗教は倉わっおくる

「狩猟採集瀟䌚」は、小芏暡で、富の所有も階玚制もなく、「幎長の男性が女性ず若い男性」を支配するだけの瀟䌚ずいい、宗教自䜓は「男性のみ」で行いたす。

「蟲耕瀟䌚」は、倧芏暡になり定䜏的に掻動したす。蟲耕により富の蓄積が登堎し、倧郚分は女性が生産し、女性は経枈的にも䞭心的な圹割を果たしたす。なので、聖なる教矩も「神秘的な女性」に関係し、宗教的儀匏も女性が重芁になりたす。

叀代ロヌマ垝囜や、同時代のむンド、䞭囜、ペルシアなどでは、様々な神は「唯䞀の神唯䞀の神秘的状態」になり、キリスト教やヒンズヌ教、道教、儒教などのように「䞖界宗教」が生たれおきたす。

これらの宗教はそれぞれ、唯䞀の神、唯䞀の悟りの状態、あるいは唯䞀の道しか存圚しないず䞻匵する。他の神々はすべお停りか幻想である。芁するに、このタむプの宗教は、普遍的であるこずをめざす。それは、合理化され知的に掗緎された瀟䌚、そしお匷倧な政治暩力をも぀瀟䌚に察応する宗教である。

『脱垞識の瀟䌚孊』P76-77

぀たり、珟代の瀟䌚では「普遍的なこずを目指す」教矩を持぀宗教が䞻流ずなりたす。このように、時代によっお、確かに「聖なる神」が衚しおいる象城は倉わっおいたす。

時代が経過するに぀れお、人びずは「小芏暡な集団の瀟䌚」から「倧芏暡な集団の瀟䌚」に移行しおいきたした。そしおロヌマなどの垝囜時代になるず、政治などが行われるようになり、瀟䌚の圢態が倉わっおいきたした。

瀟䌚が倧芏暡化するず神は遠ざかる

「瀟䌚」が倧芏暡になるず「神」はたすたす「偉倧な存圚」になっお、人びずからの距離が遠くなっおいきたす。そうなるず、リアリティがなくなっおくるため「抜象的な存圚」でしかなくなり「擬人的芁玠」が消滅しおいきたす。

それらは「道埳的な抂念」のみが残るようになり、「神の芳念は人間性ずいう䞀般抂念に転化」(P80)しおいきたす。それらの䞀般抂念は、「人類の幞犏」や「瀟䌚の維持たたは改善」ずいうテヌマに集玄されおいきたす。

さらに近代の産業瀟䌚では分業化も進んで行くこずも同時䞊行で進んでいき、宗教の抜象化ずあわせお「個人化」が進んでいきたす。

[近代的自我] ゎフマンの「盞互䜜甚儀瀌」

ゎフマンの盞互䜜甚儀瀌

神が抜象的な存圚になっお、宗教的儀瀌や信念が瀟䌚から消えおいきたしたが、コリンズはカナダの瀟䌚孊者のアヌノィング・ゎフマン(1922-1982)を登堎させ、珟代でも「儀瀌」は党然残っおいるずいいたす。

ゎフマンは珟代でも残っおいる「儀瀌」を「盞互䜜甚儀瀌」ず呌び、それは日垞的な䌚話の䞭で生じるもので、「瀌儀にかなった䞁寧さ(ポラむトネス)」の蚀動に残っおいるずいいたす。

「盞互䜜甚儀瀌」で厇拝する察象は「個人の自我」であるずいいたす。

あなたの自我は、あなたが抱く芳念であり、同時にたた他の人びずがあなたに぀いお抱く芳念でもある。ずすれば、違った皮類の瀟䌚的盞互䜜甚のもずに眮かれた人びずは、違った皮類の自我を身に぀ける、ずいうこずになる。違った皮類の瀟䌚ずその宗教に぀いおはすでに倧たかな比范怜蚎を詊みたが、これに察応する圢で、それぞれの瀟䌚においお人びずがどのような皮類の自我を身に぀けるかに぀いお比范怜蚎しおみるこずもできよう。

『脱垞識の瀟䌚孊』P83

「個人の自我」を厇拝する儀瀌ずは䜕かそれを理解するために、「瀟䌚ず宗教」の比范ず同様に、「瀟䌚ず自我」の比范をしようずいいたす。

[近代的自我] 「盞互䜜甚儀瀌」は「個人的自我を賛矎する儀瀌」である

瀟䌚によっお「自我」は異なる

郚族瀟䌚や蟲耕瀟䌚では、自我は存圚したせん。これらの瀟䌚では、集団で生掻するこずを重芖し、個人がどうこうずいうより、集団ずしお生きるこずが最も重芁でした。

珟代瀟䌚では「各個人が内面の自我をも぀」こずが圓然ずされ、法埋でも「各個人が自分の行為に責任を負う」こずが圓たり前ずなっおいたす。

それは「貚幣経枈の発達」や「自由䞻矩囜家の誕生」、「科孊技術の発達」などが起因しお「個人が自我を持っお生きる」姿勢が圓然の暩利ずしお成立しおきたからです。

盞互䜜甚儀瀌は「個人の自我」を賛矎する儀瀌

この「近代の個人䞻矩」は
「個人であるこずを蚱されおいるだけではない。個人であるべく期埅もされおいるのだ。このこずに関しおは瀟䌚は私たちに遞択の䜙地を䞎えおいない。」(P85)

ずされるように、自分が「個人ずしお生きるのに自信がないなぁ」ず思っおも、匷制的に「個人ずしお生きるこずが正しい」ず信じるこずを芁求されるわけで、それはたるで「宗教的信仰」だずいいたす。

先ほど説明した「道埳」の話に䌌おきたした。

「宗教的な道埳」も「集団に所属するこずを垌望するなら守る必芁がある」ずいうものでしたが、集団で生きるこずが圓然の瀟䌚では、その「守る」以倖の遞択肢はない。「個人の自我」も「集団に所属するこずを垌望するなら守る必芁がある」もので、それを「信じる」以倖の遞択肢はないずいう意味で䌌おいたす。

そしお、「個人の自我」を厇拝する「盞互䜜甚儀瀌」でも、道埳の話(P56-59)ず同様に、特定の儀瀌によっお成り立ちたす。具䜓的には、「盞互䜜甚儀瀌」は「お互いを気遣うマナヌ」ずいう儀瀌です。

この「盞互䜜甚儀瀌」は行う堎によっお異なる「圢匏/行動様匏」を持぀こずずなり、その行動様匏の違いは階局を䜜り出したす。たずえば、䞊叞の前ず仲間の前、クラむアントの前ず同僚の前では異なる行動様匏で振る舞いたす。「盞互䜜甚儀瀌」に぀いおは、第20回のコラム『日垞生掻における自己呈瀺』にお取り䞊げおいたす。

おわりに

すべおの契玄は非合理的な「信頌」から成り立っお、その「信頌」があるから瀟䌚は成立しおいる。囜家も資本䞻矩も「信頌」がないず存圚するこずができない。宗教も「信念」を信じ、その意思衚明を行う「儀瀌」によりその集団が連垯し維持できる。そしお、珟代の「盞互䜜甚儀瀌」も「個人厇拝の信念」を信じ、それを衚珟/呈瀺する「儀瀌」を行うこずで、瀟䌚集団が連垯し秩序を維持しおいる。

宗教では「道埳」が連垯の玄束ずしおあり、珟代瀟䌚では「個人䞻矩」が連垯の玄束ずしおある。それらは共に、その玄束ずは反察の遞択肢は遞ぶこずができない半匷制的な玄束ずしお存圚しおいるず感じたす。その半匷制的な玄束のあり方が宗教的だず蚀うこずができそうです。「道埳」も「個人䞻矩」もどちらも玔粋に考えるず理想的なものだけど、それを「瀟䌚から芁求される」がゆえに、自由ではないあり方で存圚する点が興味深い点でした。

今回取り䞊げた2぀の章は、ペヌゞにしたら93ペヌゞず100ペヌゞにも満たない内容でしたが、個人的には、わたしたちの生掻の基本ずなる、いろいろな基瀎的な芁玠が詰たっおいる内容だず思いたしたので、倚めに取り䞊げおしたい長くなっおしたいたした。取り䞊げた郚分は、ほずんどがデュルケヌムの議論を螏たえた内容の話でしたが、デュルケヌムの芖点から眺めた瀟䌚ず思い぀぀も、ずおも面癜い芋方でしたので、興味を持たれた方はぜひ読んでみおください。

たた、デザむンず関わる郚分ずしおは「象城シンボル」の郚分で、タヌゲットナヌザヌの集団が「厇拝しおいるもの」「道埳的に理想ずしおいるもの」「気分を高めるもの」がシンボルのスタむルや造圢を考えおいくうえ重芁だず感じたした。これらをデザむンするには、その集団の「連垯感情」が䜕かを定矩するこずを最初の䜜業にしお、そこから「連垯感情」をカタチにするために詊行錯誀しお発芋しおいく䜜業を䞁寧に行う必芁がありそうです。

『ランドル・コリンズが語る瀟䌚孊の歎史』

最埌に、『脱垞識の瀟䌚孊』に興味を持たれた方は、『ランドル・コリンズが語る瀟䌚孊の歎史』(友枝敏雄蚳者代衚/1997/有斐閣)もオススメです。

コリンズがデュルケヌム奜みなので、デュルケヌムの理論が劥圓性を持぀ずいう話をしおいるものの、歎史的な流れや、過去の理論などの優れた点、課題点などを敎理しおいお『脱垞識の瀟䌚孊』同様に読みやすい本です。なにぶんコリンズは膚倧な知識量を持぀ため、぀いおいくのが倧倉な本ではありたすが、衒孊的な曞き方はしおいないので、気持ちよく読むこずができたす。

著者に぀いお

tadashi torii
鳥居 斉 (ずりい ただし)

1975幎長厎生たれ。京郜工芞繊維倧孊卒業、東京倧孊倧孊院修士課皋修了、東京倧孊倧孊院博士課皋単䜍取埗退孊。人間ずモノずの関係性を重芖した、補品の䌁画やデザむン・蚭蚈ず、広報、営業などのサポヌトの業務を行っおいたす。

2013幎から株匏䌚瀟トリむデザむン研究所代衚取締圹。芝浊工業倧孊デザむン工孊郚、東掋倧孊犏祉瀟䌚デザむン孊郚非垞勀講垫。
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コラムでは補品を開発する䞊では切り離せない、経枈孊や瀟䌚孊など、デザむナヌの仕事ずは関係なさそうなお話を取り䞊げおいたす。しかし、経枈孊や瀟䌚孊のお話は、デザむンする商品は人が買ったり䜿ったりするずいう点では、深く関係しおいお、買ったり䜿ったりする動機などを考えた人々の論考はアむデアを敎理したりするうえでずっおもヒントになりたす。

たた、私の理解が間違っおいる箇所がありたしたら、教えおいただけるず嬉しいです。デザむンで困ったこずがありたしたらぜひご盞談ください。

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