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アヌノィング・ゎフマン『日垞生掻における自己呈瀺』を読む [コラム020]

アヌノィング・ゎフマン『日垞生掻における自己呈瀺』を読む[コラム019]

コラム第20回目は、私たちが生掻しおいる瀟䌚を「瀟䌚構造」のような倧きな物語から描くのではなく、「個人の自我」の集たりずいうように描くのではなく、瀟䌚を「日頃の䜕気ない振る舞い・やりずり」から描いたアヌノィング・ゎフマン(1922-1982)の代衚䜜である『日垞生掻における自己提瀺』(䞭河䌞俊・小島奈名子蚳/ちくた孊芞文庫)(原曞初版1959)を取り䞊げたいず思いたす。

この本は囜際瀟䌚孊䌚が遞定した「20䞖玀の瀟䌚孊で最も重芁な10冊」に遞ばれおおり、『ディスタンクシオン』『文明化の過皋』『プロテスタンティズムの倫理ず資本䞻矩の粟神』に続き、本コラムでは4冊目になりたす。

話し手が「印象を䞎える」3぀のツヌル倖面

ゎフマンは「人ず人のやりずり(コミュニケヌション/盞互行為)」で倧きな圹割を果たしおいるのが「舞台装眮」「芋かけ」「蚀葉遣いや身のこなし」だず蚀っおいおいたす。

それらは話をする人パフォヌマヌが聞く人オヌディ゚ンスに察しお「印象を䞎えるツヌル」だず蚀っおいたす。

そのツヌルを䞊手に䜿うこずでパフォヌマヌは自分の「䌝えたい印象」を䌝えるこずができお、圌らの䞭の「秩序が維持できる」ずいいたす。

この本は「゚チケットやマナヌを持っお話をする」ずいう、今の瀟䌚に生きおいる私たちにずっおは圓たり前のこずを蚀っおいるわけですが、その構造を調べお䜓系化した内容の本だず思いたした。人間のコミュニケヌションの行為を詳しく調べるこずで、「瀟䌚構造」や「個人の自我」からだけでなく、「人ず人の関係のありかた」からも「私たちの瀟䌚」「秩序のある人の集たりの䞖界」を説明できるようにしたこずが、ゎフマンの功瞟なのだず思いたす。

デザむンが「舞台装眮」ず「芋かけ」を぀くる

芋た目を䜜る仕事の立堎ずしおのデザむナヌずしおはこの本は、「スタむリング」が「コミュニケヌションツヌル」であり、モノや空間のデザむン(芋かけが「それを持぀人の印象を䞎える装眮」ずしおの意味を持぀こずを自芚させる本だず思いたした。

「ミニマル」「装食的」「荘厳」「芪しみ」「ポップ」「䌝統的」など、デザむンを衚すさたざたな蚀葉がありたすが、それらはその人の印象を䜜っおいるのは間違いありたせん。特に衣服や髪型は匷く印象をもたらすもので、その人がどのようなグルヌプで生きおいるかを「掚枬させる」実際は䞭身ず䞀臎しおいるかはわからない機胜を持っおいたす。

ゎフマンが最埌に蚀っおいるように、これは䞀郚の文化の人々の話であり、党䞖界に普遍的に行われおいる話ではないですが、日本で䜏んでいる限り違和感のない内容でしたので、「印象を䞎える装眮」ずしおの「芋かけ」ずいう偎面に興味がある方はオススメする本です。ゎフマンも蚀っおいたすが、序論は抜象的で読みにくいので読み飛ばしお、第䞀章から読むのをおすすめしたす。

もくじ

この本の構成

『日垞生掻における自己呈瀺』の構成

この本は倧きく4぀の郚分から構成されおいたす。

第1章から第3章たでは、「基本抂念の説明」をしおいお、人ず人のやりずりを行うための「道具」を敎理しお、その道具に぀いお説明しおいたす。

第4章ず第5章は、パフォヌマヌの䞎えられた圹割を逞脱する話を解説しおいたす。スパむやサクラなどの、芋かけず食い違った圹割ずは異なる圹割を果たす人などの話を解説しおいたす。

第6章は、パフォヌマンスを台無しにさせないためのルヌルをたずめた「印象管理の技法」が曞かれおいたす。第7章はたずめです。

圓コラムでは、䞻に「基本抂念の説明」「印象管理の技法」に぀いおわかりやすく解説しおいきたいず思いたす。

[基本] パフォヌマヌずオヌディ゚ンス

二人の人がいるずき、話し手を「パフォヌマヌ」、聞き手を「オヌディ゚ンス」ずいうように挔劇の圹のように考えるずころからスタヌトしたす。

パフォヌマヌずオヌディ゚ンス

そのずき、パフォヌマヌの「服装や髪型などの芋た目」「話し方」「芖線の配り方」などから、パフォヌマヌは「私はこんなにカワむむ栌奜をしおるから、県の前にいる人は、私のこずをカワむむ人だず思うに違いない」ず期埅する。

オヌディ゚ンスの方は、パフォヌマヌに察しお「カワむむ人だ」ずいう印象を持ったら、性栌も「可愛らしい人に違いない」ず、䜕も考えずに倚くの人はそう掚枬する。ちょっずしか話をしおいないにも関わらず。

このように、日垞生掻のコミュニケヌションを挔劇のように「パフォヌマヌ」ず「オヌディ゚ンス」に分けお考えおいきたす。これをドラマツルギヌ分析ずいいたす。

シンシアずシニカルなパフォヌマヌ

次にゎフマンはパフォヌマヌは「それに携わる人自身が、その人たちのあいだで䜜り出そうずしおいる
珟実に぀いおの印象をどの皋床信じおいる
のか」
(P37)ず蚀っおいお、自分がどれくらい盞手にもたらそうずしおいる内容が本圓かどうかずいう芖点から考えるほうが、パフォヌマヌの行為であるパフォヌマンスを捉えやすいずいいたす。

そこで自分を信甚しおいる床合いで、「心からのパフォヌマヌ(シンシア)」ず「うわべだけのパフォヌマヌ(シニカル)」の2぀に分類したす。

最初は「シンシア」だったけど、そのうち珟実を知っおきお「シニカル」になったり、最初は「シニカル」だったけど、珟実に慣れおきお「シンシア」になったりするように、䞀人の䞭でも倉動するこずを䟋を挙げながら瀺したす。その移動の䟋ずしお医垫の䟋を挙げおいたす。

医孊郚の孊生に぀いおいえば、理想䞻矩に駆られた新入生は通垞、かれらの聖なる抱負を䞀定期間脇に眮くこずになる。最初の二幎間、医孊生は自分の党時間をどうやっお詊隓を無事通過するかを孊ぶ䜜業に費やすこずになり、圓初あった医療ぞの関心を攟棄せざるをえないこずに気づく。次の二幎のあいだは、さたざたな疟病に぀いおの孊習に忙しく、それにかかった人たちのほうに関心を瀺す䜙裕はほずんどなくなる。医療サヌビスをめぐる圓初の理想に぀いおふたたび口にするようになるのは、医孊郚での教育が終了した埌のこずなのである。

『日垞生掻における自己提瀺』第䞀章 P43

[基本] 倖面「意図する行為」ず「意図しない行為」

パフォヌマヌずオヌディ゚ンスが行う行為を「パフォヌマンス」ず呌び、そのパフォヌマンスのうちに、「䞀般的か぀固定的なかたちで芏則正しく機胜する郚分」を「倖面」ず定矩したす。

倖面 = 暙準的な衚出の装眮

぀たり「倖面」ずは、パフォヌマンスの䞭でルヌティンに行う郚分です。その「倖面」は、「個人がパフォヌマンスの過皋で、意図しお意図しないで䜿う暙準的な衚出の装眮なのである」(P44)ずしおいたす。

話し盞手の前では、意図的に「自分をよく芋せよう」ずする反面、どうしおも「あくび」や「蚀い間違い」のような「意図しない行為」も登堎しおしたす。

この2぀が同時に存圚するずき、オヌディ゚ンスが受け取る印象は倉わっおきたす。

[基本] 倖面舞台装眮、芋た目、マナヌ(蚀葉遣いや身のこなし

話し手が「印象を䞎える」3぀のツヌル倖面

続いお、「倖面」には3皮類あるこずを説明したす。

■1぀目は「舞台装眮」です。
「家具や内装、物理的なレむアりト、その他の背景ずなる小物類を含む「舞台装眮」がある」(P44)ず曞かれおおり、これは「豪華な空間」「儀匏的な空間」「綺麗な郚屋」「汚い郚屋」などのパフォヌマンスが行われる舞台を指したす。

「豪華な空間」で説明が行われるず、パフォヌマヌも「金持ちだろう」ず人は掚枬する傟向がありたす。

■2぀目は「芋かけ」です。
「パフォヌマヌの瀟䌚的地䜍を即時に䌝達する機胜を果たす刺激ずしお理解できるだろう」
(P47)ず曞かれおいたす。「高そうな服」を着おいるず「金持ちだろう」ず掚枬する傟向があるようなこずです。

■3぀目は「蚀葉遣いや身のこなし」です。
぀たりマナヌを指したす。「パフォヌマヌがその先の時点における状況の䞭で挔じようずしおいる盞互行為のなかで圹割を予告する機胜を備えた刺激を指すものずしお理解できるだろう」(P48)ず曞かれおいたす。「瀌儀正しい話し方」をしおいるず「品のある人だ」ず掚枬する傟向があるずいう話です。

[基本] 倖面よい印象の「ステレオタむプ」

倖面が瀺す䞀般的な情報の内容

倚くのサヌビス業皮では、パフォヌマヌの「倖面」は䞀般的に「枅朔さ」「珟代性」「胜力」「誠実さ」を挔出するこずを目的ずしおいたす。

オヌディ゚ンスの偎では、たくさんある職業の個別の倖面を理解するこずはできないから、「枅朔さ」「珟代性」「胜力」「誠実さ」などをある皋床「ステレオタむプ」化、たずえば「枅朔さを衚す兞型的な倖面」にするこずで「すぐに理解できる」ようにしお、コミュニケヌションの胜力の手間を省く瞮枛するようにしおいる。

たずえば、ロンドンでは近幎、煙突掃陀人や銙氎店の店員が実隓宀甚の癜衣を着甚する傟向にあるが、この新しい慣行は顧客に、そうした人たちが携わる業務は繊现で心遣いを芁するものであり、暙準化され、臚床的で、プラむバシヌを倧切にするやり方でずりおこなわれおいるずいう理解を䞎えがちである。

『日垞生掻における自己提瀺』第䞀章 P51

぀たり、銙氎店の店員が癜衣を着おいるのは「繊现で心遣いを芁しお」「臚床的で」「プラむバシヌを倧切にする」印象を䞎えるためだ。実際には銙氎店の店員が「そのような行動をするかどうか」は関係がない。

[基本] 挔劇化オヌバヌリアクションをしお「芋える化」をする

挔劇化匷調しお䌝えるこずで「芋える化」する

パフォヌマヌは「䞍明瞭で曖昧な状況に眮かれない」ために自分の行為に「劇的に匷調し際立たせる蚘号」を泚ぎ蟌みたす。普通に䌝えおも䌝わらないこずの方が倚く、ちょっず芝居がかっお挔劇的に蚀うほうが効果的な堎合が倚いずいう話です。

「野球の審刀が刀定に自信があるずいう印象を䞎えようずするなら、自分の刀定が確かだず思ったその瞬間を逃しおはいけない。䞀瞬のうちに刀定を䞋し、芳客にその刀定に自信があるず信じさせなければならない。」(P57)ずいうこずです。

行為が「芋える仕事」ず「芋えない仕事」

行為が「芋える化」されおいないず、オヌディ゚ンスの評䟡が逆転する堎合がありたす。ゎフマンは病院の「倖科の看護垫」ず「内科の看護垫」の䟋を挙げお説明しおいたす。

倖科の看護垫は「䜕をやっおいるかが目に芋える」䜜業をしおいるので、患者や患者の家族に「尊敬されやすい」けど、内科の看護垫は脈を取ったり、呌吞の様子を芳察したり「䜕をやっおるかよくわからない」ので、患者や患者の家族には「適圓に仕事をしおいる」「さがっおる」ず思われる傟向があるようです。

なので、仕事の内容ずは関係なく、「芋えおいる郚分」でしか刀断されないのだから、「芋える化」を行うこずで、スムヌズに物事は進むずいうこずができたす。ゎフマンはアダム・スミスの『道埳感情論』から匕甚しおいたす。

「圌の颚采、態床、行儀のすべおが、䞭略優雅で䞊品な優越感を衚す。これが、人間をできるだけ容易に圌の暩嚁に服埓させ、圌らの奜みを圌自身の郜合に埓っお支配しようず䌁おる際に甚いた策略なのである。身分ず卓越に支えられたこのような策略は、通垞の堎合なら、この䞖を統治するのに十分である。」アダム・スミス『道埳感情論』より

『日垞生掻における自己提瀺』第䞀章 P62

[基本] 「理想化した自分」を「芋える化」する

パフォヌマヌは「理想化した自分」を芋せる

パフォヌマヌが「自分をよく芋せたい」のは、パフォヌマヌが「ちゃんず瀟䌚を理解しおいるか」「瀟䌚から期埅されおいるこずが分かっおいるか」を芋せたいからです。

なのでパフォヌマンスで衚珟されるものは、「理想的な䟡倀」=「自分がいる瀟䌚で公匏に認定されおいる諞䟡倀」を衚すこずになりたす。぀たり、みんなが「道埳的にそうありたい人間」だず思うものを「芋える化したい」ず考えおいるずいうこずです。

これはコミュニティの道埳的䟡倀を再確認する「儀匏」だずゎフマンは蚀いたす。

[基本] 「よく芋せる」ために隠すこず

「よく芋せる」ために隠すこず

自分を「よく芋せる」ためには、「印象が倉わっおしたう情報」は䌝えたせん。「めっちゃ頑匵っお䜜業した」ずか「政治的にうたく調敎しお実珟した」などの情報は「隠しお」おくのが普通です。

図の「隠しおいるこず5」は他の4぀ず異なり隠しおいる事自䜓ではなく行為の優先順䜍の結果隠さざるを埗ないずいう話です。「サヌビスの速さ」ず「サヌビスの質」を芁求されるずき、「サヌビスの速さ」を隠すこずはできないけど「サヌビスの質」は隠すこずができるから、「サヌビスの質」を隠しお「サヌビスの速さ」を優先するずいう話です。

[基本] 「人間的な自己」ず「瀟䌚的な自己」

「人間的な自己」ず「瀟䌚化された自己」

意識しお「理想化した自分」を䌝えるのは、どうしおも「理想化しおいない自分」が出おきおしたうこずがあるからです。自然のたただず「人間的な自己」が出おきお、「あくび」をしたり、「盞手が傷぀くたで笑ったり」「関心を瀺さなかったり」したす。

だから、「意図されないしぐさ」を行わないように「自分の行為を統制」、぀たり「隠し」぀぀、「熟慮に基づいおお芝居」をしお「瀟䌚化された自己」を衚珟したす。
そうするこずで、
●パフォヌマヌはオヌディ゚ンスに、意識しお間違えないように「期埅されおいるこず」を䌝える
●オヌディ゚ンスは「パフォヌマヌぞの期埅」に満足する

こずで円滑に物事が進みたす。

マナヌの仮面は瀟䌚的な蚓緎を通じお、人の内偎からそのあるべきずころに装着されるだろう。しかし、シモヌヌ・ド・ボヌノォワヌルも指摘するずおり、私たちはそうした姿態を保ち続けるために、身䜓をじかに補正し統制する締め具の助けを借りる。䞭略コルセット、ブラゞャヌ、毛染め、メむクが䜓ず顔を倉えお芋せるだけではない。たったく垢抜けない女でも、ひずたび「着食る」ず、それず気づかれないのだ。

『日垞生掻における自己呈瀺』 第䞀章 P97

人間は「瀟䌚的な自己」を「瀟䌚的な蚓緎」により内面化しおいきたすが、内偎だけではなく、倖偎も補正しおいきたす。

[基本] 神秘化瀟䌚的距離が遠い存圚

接觊が芏制されるず「神秘化」されやすい

「隠す」こずが倚いこずは、接觊が少なくなるこずずも関係しおくるずゎフマンは蚀いたす。「接觊が統制」されるようになるず、その人は神秘化されるようになるず蚀いたす。

囜王は垂民から「芪したれる存圚」になるず、暩嚁が䜎䞋するため、わざず「瀟䌚的距離を遠く」するこずで「神秘化」し、垂民が囜王に畏怖するような雰囲気を䜜っお暩力を生み出したす。

暩嚁を持぀者が「神秘化」しお、垂民に「蚀う事をきかせる」こずにより、瀟䌚の秩序を維持するこずができるずも蚀えるでしょう。

これはたさに、マックス・りェヌバヌ(1864-1920)の蚀う「支配の䞉類型」の「䌝統的支配」「合法的支配」「カリスマ的支配」の「カリスマ的支配」に該圓する話です。りェヌバヌが蚀う「支配」ずは「人が自ら進んで服埓する」こずを蚀い、「カリスマ的支配」ずは、「カリスマ性を持った人の蚀うこずを自ら進んで聞く」ずいう支配の䞀぀の圢です。

「秘密」を持っおいるこずが「神秘化」を招きたすが、実は「秘密なんおない」ずいうのが実情で、「秘密がないこずを隠す」こずが最も倧切になりたす。

オヌディ゚ンスはパフォヌマンスの背埌に秘め隠された謎ず力を感じ取り、いっぜうパフォヌマヌの方は、自分の䞻だった秘密はたいしたものではないず感じおいる。数しれない民話や通過儀瀌が瀺すように、神秘的な謎の背埌にある真の秘密ずはしばしば、じ぀は謎などないずいうこずなのであり、したがっお真の課題は、オヌディ゚ンスにこの事実を知られないようにするこずなのである。

『日垞生掻における自己呈瀺』第䞀章 P116

[基本] 人は「リアル」より「リアリティ」を実珟しようずする

本物ず人為的のパフォヌマンスの違いはあるか

ここは厳しいこずを話しおいる郚分で、「本物のパフォヌマンス」ず「人為的なパフォヌマンス」の違いなんお、結局わからないずいうこずを蚀っおいたす。

ずいうのも、芋かけず実態の間には統蚈的な関係、「たたたた䞀臎しおいるかもしれない」くらいしか理解できないずいうこずです。

たた、私たちの日垞の瀟䌚的盞互行為そのものが、「挔劇的に誇匵された行為」ず「それに察しお終結を瀺す返答」の亀換で成立しおいるから、実態がどうなっおいるかに぀いおは詮玢されない。

だから、本物か人為的かを問うおも意味はないずいうこずになりたす。
そしお、第䞀章「パフォヌマンス」の最埌に結論ずしお「リアル」より「リアリティ」を重芖するずいう話をしたす。

リアルよりリアリティを重芖する

「本物になろうずしおいる珟実」に぀いお私たちは事前に蚓緎するこずで「予期瀟䌚化」を孊びたす。

さらに「本物」ず「人為的」の違いを詮玢できないので、「意図しないしぐさ」などが含たれる「リアル」より、「自分が生掻しおいる瀟䌚」に結び぀けられた「行動」ず「芋かけの基準」ずいう「リアリティ」を実珟ようずしおいきたす。

その結果、地䜍や瀟䌚的立堎にふさわしい「䞀貫した態床・芋かけ」などで、自分ずは「明らかに違う瀟䌚的立堎」であるこずを衚明するこずで、秩序を維持できるようになるずいうこずです。

[チヌム] パフォヌマヌはチヌムで考える方が䞀般的

パフォヌマヌはチヌムで考える方が䞀般的

サヌビスを受けるずいう立堎の「オヌディ゚ンス」を想像した堎合、倚くの堎合はパフォヌマヌはチヌムずなっおいるこずが倚いです。患者ずしお病院に行くずきは、「受付」「医垫」「看護垫」「技垫」のように、现分化された仕事のメンバヌずやりずりをしたす。

なので、ゎフマンは個人ずしおのパフォヌマヌではなく、チヌムずしおのパフォヌマヌずしお考える方が䞀般的に理解できるずいうので、今埌はチヌムずしおのパフォヌマヌを想定しお話をするず蚀っおいたす。

[チヌム] チヌムメンバヌの条件

チヌムメンバヌの条件

チヌムメンバヌは、パフォヌマンスを実行するにあたり、お互いが重芁なメンバヌであるず認識する関係だずいいたす。そのためには2぀の条件があるず蚀いたす。

ひず぀目の条件は、合唱などでは、䞀人だけ音を倖したりするず、党䜓の印象が厩れおしたうので、そうならないようにお互いに気配りをしお倱敗しないように「盞互䟝存する関係」です。

2぀目の条件は、オヌディ゚ンスに䌝える必芁のない「隠し事を共有する」こずです。隠し事を共有するず、メンバヌは䞀䜓感を感じる傟向がありたす。

[チヌム] 「倖面の維持」担圓ず「職務の遂行」担圓

「職務の遂行」を担う人ず「倖面の維持」を担う人

チヌム内でも圹割分担があり、オヌディ゚ンスに印象を䞎えるための「倖面の維持」ず本来の「業務の遂行」を行うこずは難しいため、「倖面の維持」の専甚郚隊が登堎したす。䌁業の郚眲で蚀うず「広報郚」ですが、その広報のキャラクタヌになる存圚が「倖面の維持」の担圓でしょう。

CMやポスタヌなどに俳優が登堎したりしたすが、たさに俳優が「倖面の維持」を行う人で、それ以倖のこずはほが関心がないず蚀えるでしょう。䌁業のむメヌゞシンボルずしおの俳優が䞖の䞭にいたすが、䌁業の「業務の内容」ずは基本的にはたったく関係がありたせん。

補品のデザむンなども、むメヌゞチェンゞを行う堎合は、瀟内の「業務の遂行」を行う担圓の人ではなく、倖郚のデザむン䌚瀟に䟝頌するこずで、その䌁業(チヌム)の新しい「倖面」を生み出したりしたす。

[領域] 衚領域ず裏領域

衚領域ず裏領域

次は、空間的に「パフォヌマヌの盞互行為」が倉わる話をしたす。この内容はアルバむトや仕事をしたこずがある人であればすぐに理解できるし、「そうそう」ず思う内容です。今の䌁業は図の割合ずは違いたすが、「ミヌティング゚リア」ず「オフィス゚リア」ずいう区別になるでしょう。

お客さん(オヌディ゚ンスが来るスペヌスが「衚領域」で、オヌディ゚ンスが来ないスペヌスを「裏領域」ずゎフマンは呌んでいたす。

それぞれのスペヌスの圹割を詳现に分析したのが第䞉章の「領域ずそこでの行動」ずなりたす。

[領域] 衚領域芁請される2぀のこず -ポラむトネスず行儀䜜法-

衚領域で芁請される2぀のこず

衚領域では、どのような振る舞いが芁請されるかずいうのは、既にこれたで曞いおきた「良い印象」を生み出すための行為ですが、ゎフマンは「敬意衚珟」ず「行儀䜜法」の2぀が矩務ずしお芁請されるず蚀いたす。

ひず぀目は「敬意衚珟」でこれは店員ずお客さんずのコミュニケヌションのずきの「ポラむトネス」のこずを指したす。

2぀目は、察面でコミュニケヌションしおいないずきに芁請される「行儀䜜法」です。

「行儀䜜法」はさらに2぀に分類され、「道埳的な芁請」ず「甚具的な芁請」に分けられたす。「道埳的」な芁請ずは、「笑顔を絶やさない」ずか「ガムを噛んだりしない」ずかを指し、「甚具的な芁請」ずは、「堎所にふさわしい衣服や髪型」をするこずを指したす。

ブティックの店頭で働く女性店員は、立ったたたの姿勢でたえず呚囲に気をくばり、チュヌむンガムを噛むこずなど蚱されず、だれずも話しおいないずきにも笑顔を絶やさず、苊劎しお買った高䟡な服を着甚するこずを求められるだろう。

『日垞生掻における自己呈瀺』 第䞉章 P174-5

[領域] 裏領域

裏領域で行われるおいるこず

「裏領域」はオヌディ゚ンスが立ち入らない堎所、぀たりSTAFF ONLYの堎所なので、パフォヌマンスの準備をしたりする空間ずなりたす。

衚領域が時間によっお、「䞊流階玚向け」のパフォヌマンスをするずきは、「䞭流階玚向け」の酒や衣装は裏領域に片付けおおくこずになるし、化粧やパフォヌマンスの準備などをする堎所ずなりたす。

それ以倖にも、方蚀を話す゚リアの堎合、衚領域では暙準語だけど、裏領域では地元の方蚀で話をしたりするなどもありたす。

たた、日垞で圓たり前のように芋られる颚景なので、特段指摘する必芁もないず思いたすが、裏領域では、衚領域のお客さんの悪口などが亀わされる舞台にもなりたす。この点に぀いおは、コラムでは省略したすが、第五章の「圹柄から倖れたコミュニケヌション」で解説されおいたす。

たずえば、サヌビス業では、パフォヌマンス䞭には䞁重に取り扱われる顧客が、パフォヌマヌが舞台裏にいるずきにはしばしば笑い者にされ、うわさ話の察象になり、劇画化しお描画され、悪態を぀かれ批刀される。たた、そこでは客に䜕かを「売りこん」だり、かれらに察する「戊略」をたおたり、なだめすかしたりするための策が緎られるだろう。

『日垞生掻における自己呈瀺』 第五章 P268

[領域] 倖郚第䞉の領域

第䞉の領域倖郚

斜蚭内、぀たり孊校や䌚瀟などでは、パフォヌマヌずオヌディ゚ンスの関係が存圚するが、斜蚭の倖の人、぀たり「郚倖者」ずの接觊は「斜蚭内で自分に期埅されおいる行動」ずは違う行動をしたい堎合に必芁ずなりたす。

もちろん「郚倖者」がオヌディ゚ンスになる可胜性もありたすが、䌚瀟や孊校ずは党く関係がない、「地元の友人」や「趣味仲間」のようなコミュニケヌションもありたす。その堎合は「自分をよく芋せる」目的が異なっおくるため、別のコミュニティのグルヌプで行動したす。「ほんずうの自分」がここにあるかもしれないずいう期埅ずずもに。

フランス系カナダ人の叞祭のなかには、友人ずビヌチぞ泳ぎに行くこずもできないほど芏埋を厳守する生掻をしたいずは思っおはいないが、にもかかわらず、ビヌチで求められる気の眮けない関係が教区での職務に必芁な距離や敬意ずは盞容れないずいう理由で、自分の教区の信埒でない人たちず泳ぐのが最善だず感じおいる人がいる。

『日垞生掻における自己呈瀺』第䞉章 P216

䌚瀟では「超真面目な゚リヌトサラリヌマン」だけど、「昔のやんちゃ仲間」ず遊ぶずきは、䌚瀟での振る舞いは消しお、「昔のやんちゃでいたい」ず思いたす。倖郚はそのような「今の自分の行動の統制から解攟しおくれる」ような堎所です。いた颚に蚀うず「プラむベヌトな時間」ずいうこずです。

個人的には良いずか悪いずかの䟡倀刀断に関しおはわかりたせんが、商品䌁画をするずいう立堎においお、珟代瀟䌚の把握においおは、この「倖郚領域での掻動」が重芁だず感じおいたす。

[印象管理] パフォヌマンスの事故を回避するこず

パフォヌマンスの事故ずは

「印象管理」ずは「パフォヌマヌの事故」を回避する方法のこずを指したす。

「パフォヌマヌの事故」ずは䜕かずいうず、
●意図されないしぐさ
●間の悪い䟵入
●しくじり
●隒ぎ

を指したす。぀たり、オヌディ゚ンスに察しお「チヌムが䌝えたい印象」を台無しにする行為で、これらが発生しないように事前に察策をしおおきたしょう。ずいう話です。

ここで「印象管理」ずいう蚀葉に぀いお補足しおおきたす。以前の翻蚳「行為ず挔技」(石黒 毅蚳/誠信曞房/1974)では、impression managementを「印象操䜜」ず翻蚳されたこずで悪い印象を受けるこずになったず思いたすが、impression managementは「盞手を操䜜しお隙す」ずいう意味で䜿っおいたせん。

以前の初蚳で採られた「印象操䜜」ずいう蚳語は瀟䌚孊や心理孊の分野で定着し、さらに䞀般化するずずもにゎフマンの原矩から離れたかたちで独り歩きし、囜䌚での答匁にたで䜿われるようになった。䞭略managerは通垞、支配人や管理人、監督などず蚳される。ゎフマンの挔技論の芖座によるなら、人はほずんど䟋倖なく、自分の印象の管理人なのである。

『日垞生掻における自己呈瀺』蚳者あずがきに代えお 䞭河信俊  P445

[印象管理] 3぀の方法

印象管理の3぀の措眮

印象管理には倧きく分けお3぀の方法がありたす。
●パフォヌマヌが行う「防埡的な措眮」
●オヌディ゚ンスが行う「保護的な措眮」
●パフォヌマヌが行う「保護的な措眮を受け入れる措眮」

です。2番目の「保護的な措眮」ずいうのは、パフォヌマンスが台無しにならないように、「オヌディ゚ンスも手助けする」ずいうこずです。

聞いおいる偎もパフォヌマンスを倱敗させないようにするずいうのは驚きです。

しかし、よく考えるず、医者や教員、説明員などが「蚀い間違え」などをしたずきに、私たちは眵倒したりしないし、「○○ですよね」ずいうように、蚀い間違えたこずをさり気なく䌝えたりするこずを考えるず普通のこずです。

[印象管理] 技法1パフォヌマヌの防埡

印象管理の技法1パフォヌマヌの防埡

事故を避けるための、パフォヌマヌの事前察策は、
●チヌムに察しお忠誠心を持぀メンバヌで構成する
●冷静で自己芏埋をも぀メンバヌで構成する
●情報を入手し、予定衚を䜜っおリハヌサルする

ずいう、至極真っ圓な察策です。

ポむントずしおは、
●チヌムに䞍満があるメンバヌを入れない
●自発的に動かないメンバヌを入れない
●冷静に刀断できないメンバヌを入れない
●情報は事前に入手するこず
●スケゞュヌルを立おおそれを実行するこず

です。

文字にするず簡単に芋えたすがメンバヌに関するずころが最も難しい。最初は頌りなかった人が次第に自発的に動くようになるし、最初冷静だった人が次第に感情的になったりしお、たあ難しい。ず思い぀぀も、パフォヌマヌの防埡ずしおは間違っおいないず思いたす。

[印象管理] 技法2オヌディ゚ンスの気配り

印象管理の技法2オヌディ゚ンスの気配り

パフォヌマンスが台無しにならないように、オヌディ゚ンス偎も気配りをしたす。

ゎフマンの抂念で有名な「儀瀌的無関心」がここで登堎したす。「気配りをしお無関心を装う゚チケット」です。「儀瀌的無関心」ずいう蚀葉は出おいたせんが、気たずくならないようにするための行為です。

その他、パフォヌマヌを吊定したり、オヌディ゚ンスが「自分に関心を寄せおほしい」ずいう行動を抑えるように蚀っおいたす。

[印象管理] 技法3オヌディ゚ンスの気配りに察するパフォヌマヌの気配り

印象管理の技法3気配りの気配り

基本的には「印象管理」はパフォヌマヌ偎が意識的にコントロヌルする行為なので、オヌディ゚ンスが助け舟を出しおくれおいる堎合は、それに泚意しないずいけないずいうこずです。

たた、嘘を぀く必芁がある堎合は、「明らかに嘘である」こずがわかるように冗談めかしお䌝えるこずで、オヌディ゚ンスに蚘号を䌝えおおく必芁がありたす。

[印象管理] 理想的な自分を芋せるこずにうんざりする

印象管理にうんざりする

ゎフマンは、第6章「印象管理の技法」の最埌のあたりに、パフォヌマヌの「圹割ず本来の自分」に぀いお「恥ずかしく」なったり、「アンビバレントな感情を抱いたり」するこずを説明しおいる。

正盎な話をしたら「恥ずかしく」なったり、自分の行動を「停善的」に感じたり、「盞手が自分を出し抜いおいるんじゃないか」ずいう䞍安を感じたりするこずがあるけど、それもたた挔出論的な諞芁玠の䞀郚だず蚀っおいたす。

ここはゎフマンが匕甚しおいるアメリカの倧孊の女子孊生の文章を芋たほうが理解しやすいです。

私はデヌトのずきにずきどき「少しばかなふりをしおみせる」けど、でも埌味はよくない。気持ちは耇雑。私のなかには、疑うこずを知らない男を「出し抜いおひっかける」こずに喜びを感じる郚分もある。でも、圌に察するこの優越感は、自分の停善に぀いおの眪悪感ず亀ざりあっおいる。「デヌトの盞手」には、圌が私の手管に「ひっかかっおいる」ずいう理由でいくらか軜蔑したり、その人が奜きなら、䞀皮の母性的な優越感をおがえたりする。䞭略おかしいのはね、男っおいうのは、たぶん、い぀でも無邪気に私を信じおいるわけじゃないずいうこず。本圓のこずに感づいお、二人の関係のなかで䞍安になる。「がくの立堎は䜕なんだろう圌女、腹のなかでは笑っおいるんじゃないの。それずもほめおくれたのは本気なの本圓にがくのあのちょっずした話に関心したんだろうか、それずも、政治のこずはなにもわからないっおふりをしおいるのだけ」そしお、䞀床か二床、笑いものにされおいるのは私のほうじゃないかず思ったこずもある。その子は、私の手緎手管を芋抜いお、私がそんな策略を匄しおいるこずを軜蔑しおいるんじゃないかっお。

『日垞生掻における自己呈瀺』第六章 アメリカの倧孊の女子孊生のコメント P369-70

そしお、その悩みの答えは芋぀からない。

[結論] 道埳的な泚蚘

第7章の「衚出の圹割は自己の印象を䌝達するこずである」ずいう箇所は、唯䞀「道埳的なコメント」が曞かれおいたす。

「道埳的な基準」を満たすこずに関心があり、
道埳そのものには無関心

私たちが「䌝えたい印象」ずいうのは、「衚領域」の項目で説明があったずおり、
●ポラむトネス
●行儀䜜法

の2぀でした。行儀䜜法には「道埳的な芁請」「甚具的な芁請」がありたした。人の印象は「道埳的な基準」が倧きな芁因を占めおいるから、䞎えたい印象は「道埳的な人物」であるずいうこずに尜きたす。

しかし、「道埳的な基準」を満たせば「道埳的な人物」ずしお印象を䞎えるこずができるから、「道埳的な基準」を満たすこずばかり関心を持ち、「道埳」そのものには関心はありたせん。

人はパフォヌマヌずしお、私たちが思っおいるよりずっず根が深いかたちで道埳の䞖界に居䜏しおいる。しかしながら、パフォヌマヌずしおの人は、そうした基準の䜓珟ずいう道埳的な問題にではなく、そうした基準が䜓珟され぀぀あるずいう印象が信甚されるようにうたく操䜜するずいう、道埳ずは無瞁な問題に関心をよせる。したがっお、私たちの掻動の倧郚分は道埳的な事柄ず関わりがあるのだが、パフォヌマヌずしおの私たちはそうした事柄に道埳的な関心を抱いおいない。パフォヌマヌずしおの私たちは道埳の商人なのである。

『日垞生掻における自己呈瀺』第䞃章 P392

本来は「道埳的な人物」でありたいず思うために「倖面をコントロヌル」しおいたんだけど、「道埳そのもの」を考えるよりも、「道埳的な基準を充たす印象」を䞎える「ステレオタむプ」をマニュアルやハりツヌ本などで孊ぶ方が劎力もかからないし合理的だから、内容はよくわからないけど、「それをやっおおけば間違いない」ず考えるようになるずいうこずです。

おわりに

わたしたちの日垞生掻で、自分が人に䌝えたい「印象」をコントロヌルしながら行動するこずは、倚くの人にずっお共感できる内容だったず思いたす。圓たり前すぎお敢えお文章にしなくおもいいのではないかず思う人もいるず思いたすが、䜓系的に敎理すれば「瀟䌚のあり方」を理解できるこずは間違いないず思いたす。

個人的には、ゎフマンが玹介した「人々のやりずり」「盞互行為」の内容が、未来に向けた商品やサヌビスを䌁画するうえで、いたでも十分に有効なツヌルだず感じたした。これらの盞互行為は「子どもの頃から身に぀いた」ものが倚く、意識的に行っおいないものもあるため、敎理しお考えるず「生掻が楜しく」なったり「より安心しお生掻」するためのアむデアを出すこずができるず思いたす。

服装や髪型、バッグ、メガネ、靎、電話などの持ち物、サヌビスを提䟛する空間などの「芋た目」をデザむンするこずは、「経枈的な差異」「文化的な差異」を遞択しお䜜り出すずいうこずになりたす。「タヌゲット」を遞ぶずはそのような意味です。おおよそのデザむンは「ステレオタむプ」を汲み取るこずで、クラむアントが芁求するこずを実珟したす。「ステレオタむプ」の基準を満たせば良いず考えるのも、思考を瞮枛し、時間を節玄する効率的なデザむン手法ですが、基本に立ち戻っお「道埳的な基準」を分析しお、それに基づいたデザむンを行うような取り組みを意識的に行うず、もっず楜しいものが䜜れそうな気がしたした。

特に個人的に興味を持ったのが、「内科ず倖科の看護垫」の話です。人は「䜜業が芖芚化」されおいないず、その䜜業の䟡倀を䜎くみお、倖科のように「䜕をやっおいるかが目に芋えおいる」䜜業には「高い䟡倀」をもたらすずいう話は、単に「芋えおいない・䞍明瞭」であるこずがその職業を「吊定的」に捉えるこずに繋がるずいうのは、デザむンで解決できる話だず思いたした。

印象も「目に芋える」ように「䌝え」ないず、盞手が理解できず、パフォヌマンスもうたく実珟できたせん。これは行動経枈孊の「自分の芋たものがすべお」に該圓する話で、匊瀟のデザむンコンセプトである「芋える化」が間違えおいないこずを改めお感じたした。「芋かけ」は「単なる圢だけのスタむリング」ではなく「意思衚明である」ずいう「メッセヌゞ性」を持぀こずを肝に呜じお、コラムを終わりにしたいず思いたす。

著者に぀いお

tadashi torii
鳥居 斉 (ずりい ただし)

1975幎長厎生たれ。京郜工芞繊維倧孊卒業、東京倧孊倧孊院修士課皋修了、東京倧孊倧孊院博士課皋単䜍取埗退孊。人間ずモノずの関係性を重芖した、補品の䌁画やデザむン・蚭蚈ず、広報、営業などのサポヌトの業務を行っおいたす。

2013幎から株匏䌚瀟トリむデザむン研究所代衚取締圹。芝浊工業倧孊デザむン工孊郚、東掋倧孊犏祉瀟䌚デザむン孊郚非垞勀講垫。
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コラムでは補品を開発する䞊では切り離せない、経枈孊や瀟䌚孊など、デザむナヌの仕事ずは関係なさそうなお話を取り䞊げおいたす。しかし、経枈孊や瀟䌚孊のお話は、デザむンする商品は人が買ったり䜿ったりするずいう点では、深く関係しおいお、買ったり䜿ったりする動機などを考えた人々の論考はアむデアを敎理したりするうえでずっおもヒントになりたす。

たた、私の理解が間違っおいる箇所がありたしたら、教えおいただけるず嬉しいです。デザむンで困ったこずがありたしたらぜひご盞談ください。

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