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2024.11.11

エイドリアン・フォーティー『欲望のオブジェ』を読む [コラム014]

エイドリアン・フォーティー『欲望のオブジェ』を読む

デザイナーのクリエイティブ能力が製品デザインを決めているという前提に立った、従来のデザイン史の観点とは異なる「社会が製品デザインを生み出している」視点のプロダクト・デザインの歴史、インダストリアル・デザインの歴史を読み解くエイドリアン・フォーティー(1948-)の『欲望のオブジェ』(鹿島出版会 2010/高島平吾訳)の本編を、今回のコラムでは解説します。

前回は序論だけを取り上げてコラムにしましたが、本編では、実際に製品のプロダクト・デザインがどのような「考え方」・「社会背景」から生まれて来たかを説明しています。特にフォーティーは「デザインは社会が期待するイデオロギー(観念・思い込み)を目に見える形」にしていると考え、それでは、社会が期待するイデオロギーとは何か?という視点から製品が誕生する流れを説明しています。

子どもと大人を区別するイデオロギー

そもそも、イデオロギーとは何か?ということから先に説明しておきます。序論では「観念」とか「神話」と呼ばれていましたが、大阪府立大学の「08 イデオロギー-現代社会においてイデオロギーを問い直す意義」というページで、酒井隆史(1965-)さんが書いているとおり、「『言うまでもなく自然』であるとか『自明』であると思われている意識形態のことをイデオロギーというのです。」というのがとってもわかりやすい言い方です。

個人的には「思い込み」という言い方がとってもしっくりくる場合が多いかと思います。

わたしたちは、子どもを「無邪気でナイーブ」だったり思うことが、当たり前だと何となく思っていますが、無邪気でナイーブでない子供もいるのに、多くの人が「子供は無邪気でナイーブだ」と思っているから、子供向けのサービスや製品は、「くまさんの絵が描いている服、皿、コップ」などのような傾向になります。この「子供が無邪気でナイーブ」と考えることがイデオロギーということです。あとは、「男らしい」とか「女らしい」とかや、「◯◯はこうあるべきだ」的な話もイデオロギー(思い込み)の分類に入ると考えられます。

製造、労働環境、生活環境においてそれぞれのシーンに様々なイデオロギーがあり、それらを中心にしてフォーティーはプロダクト(製品)にまつわる製造面・企画面・デザイン面についてのお話をしています。それでは最初に、この本の構成を解説してから、個人的に興味を持った点について、できるだけわかりやすく図解と共に解説していきたいと思います。

この本の構成

『欲望のオブジェ』の構成

この本は大きく分けて4つに分類でき、最初は「フォーティーの考えるデザインについての基本ルール」を解説した部分、2番目は1750年頃のウェッジウッドからスタートして、テキスタイル、家具、ポケット・ナイフ、石鹸などの歴史を追って、どのように商品が提供されていったかの歴史的な流れを追う。3番目は、近代社会のキーワードとなる分類別に個別展開例を解説、4番目はまとめ的な構成です。

このコラムでは、面白いと個人的に思った部分について解説していきたいと思います。それでは、第1章の「進歩のイメージ」から見ていきましょう。

[進歩のイメージ] デザイン表現の基礎文法

英国のPYE社の1922年の「ユニットシステム」
英国のPYE社の1922年の「ユニットシステム」P19

時代が進歩すると便利にもなる反面、公害のような副作用も生み出します。たとえば蒸気機関はパワーをわたしたちに提供してくれたけど、煤だらけになるし、空気も悪くなってしまって、健康に被害でたりする話を最初にフォーティーはします。

さらに、新しく登場するものについても、電気のように、それまで存在しなかったから「怖い」という印象をもたらして「使いたくない」という考え方の人も出現します。

しかし、メーカーはせっかく開発したものが売れないと困るので、みんなが「欲しい」と思わせるようにしなくてはいけません。

メーカーは欲しいと思わせるために、広告宣伝などのプロモーションを行ったりするが、1922年のPYE社のユニットシステムのように、機械丸出しのようなプロダクトは家庭ではあまり好まれません。そこでデザインが登場することになります。デザインは、新しいものを「欲しくなる」ようにするためにするための役割を実行することとなります。

「欲しくなる」ためのデザインとして、3つの基本型が作られます。「古風なもの」「なにかに押し込めたもの」「ユートピア的なもの」の3つで、フォーティーはインダストリアル・デザインの中では繰り返し登場する「デザイン表現のひとつの基礎文法」と呼んでいます。

ラジオのデザイン1
ビューフォート ラジオグラム1932
デザイン表現1
古風なもの
ビューフォート ラジオグラム1932 p20
脚や開口部の装飾などがある
ラジオのデザイン2
ラジオ「安楽椅子」1933
デザイン表現2
なにかに押し込めたもの
ラジオ「安楽椅子」1933 P20
椅子の中にラジオを入れる
ラジオのデザイン2
キャビネット 1932
デザイン表現3
ユートピア的なものに仕立てる
キャビネット・デザイン 1933 P20
キュービックで未来的

古風なもの、なにかに押し込めたもの、そしてユートピア的なものに仕立てるというアプローチは、インダストリアル・デザインの中で何度も繰り返し見られるもので、デザイン表現のひとつの基礎文法、ないしはレパートリーをなしているといっていい。

『欲望のオブジェ』P20

たしかに、このルールはよくある感じです。「見たことがあるもの」「見えないようにする」「未来チック」の3点を基礎文法と呼ぶのは正しいと思います。ここで、デザインが果たす最大の役割を明確にしたうえで、次に進みます。

[進歩のイメージ] 形態は機能だけに従わない

amazonで「コップ」と検索した結果
amazonで「コップ」と検索した結果

フォーティーは、コップを例にして「形態は機能に従う」というモダニズムのデザインコンセプトが現実の社会と整合性を持たない的な話をします。

このコンセプトに忠実に従ったら「用途が同じなら、全部同じものになるべきだ」(P21)と言っていて、確かにその通りですよね。

Amazonで「コップ」と検索した結果が出てきますが、検索結果は5万件以上あり、コップを「何かを飲むためのもの」と定義すると多様な形状が出てきます。

コップの唯一の目的がそこから何かを飲むためだとするなら、なるほどたったひとつのデザインでこと足りよう。だが、コップには他の用途もしっかりある。それらはひとつの流通品として、富を創造したり、個性を表現したいという消費者の願いを満足させたりするのに役に立つわけで、デザインのヴァラエティが生じるのはまさにそういう用途の結合からなのである。

『欲望のオブジェ』P21

たとえば、「ワインを飲むコップ」「お茶を飲むコップ」「コーヒーを飲むコップ」などの中身の種類によっても変わってきたり、「冷たいもの」「温かいもの」でも形が変わってくることは推定できますが、条件を絞ったとしても、その条件を満たす機能のデザインが同じものになるとは限りません。

先程のデザインの役割を考慮すると、機能だけに従うデザインだと「買ってくれない」傾向になると思います。現代の感覚から考えた場合、家にはコップは山のようにある状況で、新しく欲しいと思うのは「きれい」「かわいい」のような機能とは無関係の要素が多かったり、もしくは「キャンプ用に合うアースカラーのコップ」など、機能的には不要なはずなのに、改めて「欲しくなるシーン」が生まれるときだと思われます。

工業製品のはじまり:ウェッジウッド(1759年創業)

ウェッジウッドの「アイスクラービウスのために」と装飾瓶
ウエッジウッドの青と白のジャスパーの試作メダリオン 1773年頃(右)と黒地に白のジャスパーがけの装飾瓶1784年頃(左) P38

ジョン・ヘスケット(1937-2014)の「インダストリアル・デザインの歴史」を第5回目のコラムで取り上げましたが、そこでも最初に登場したのはウェッジウッド(1759年創業)でした。フォーティーは、ウエッジウッドの製品開発についてのコンセプトについて紹介しています。

1)製造方法の合理化
2)マーケティング技術
3)質の高いものを一貫して生産
4)見栄えを重要視


した4点を挙げています。

ウェッジウッドが人並にすぐれて成功した理由として、自分の工場での製造方法の合理化、思い切ったマーケティング技術、そしてとくにここで意味深いこととして、製品に対する彼の細心の配慮、などがあげられる。彼は他の製陶所以上に質の高いものを一貫して生産しようと決心しただけでなく、自分がつくるポットの見栄えをきわめて重要視したのである。

『欲望のオブジェ』P28
古式デザイン+最新技術=ウェッジウッド

個人的に興味を持った点として、ウェッジウッドは、品質を均一にしたり、手作業の工程を機械化したり、歩留まりが悪い方法を当時の最先端技術により解決していくが、マーケティング的には決してそれを表に出さないという話です。

当時の新中間層は、アンティークがブームとなっていて、ギリシャ時代を精神的支柱にした新古典主義が大好きでした。なので、ユーザーはアンティークが本物らしくあればあるほど、高評価をしていたとのことで、ウェッジウッドは、アンティークさをPRし、最先端技術についてはPRはしないという方針だったようです。

ウエッジウッドは、たとえば手書きの絵付けの代わりにあらかじめ描かれた転写法をほどこすといった、知られている限りのどんな古代のプロセスとも関係のない方法を導入する場合には、こうした開発が自分の製品や利益に大きな影響を与えたにもかかわず、そこをあえて隠しておくように気をくばった。(中略) とりもなおさず、彼が、自分の製品が好評なのは、それらが顧客に、彼らには受け入れがたい進歩の側面を思い起こさせないからだ、ということを理解していたことを示しているのである。

『欲望のオブジェ』P40

インダストリアル・デザイナーの登場

インダストリアル・デザイナーの登場

プロダクトデザインの歴史では、プロダクトデザイナーが登場したのは、1930年頃にレーモンド・ローウィー(1893-1986)や、ヘンリー・ドレヒュス(1904-1972)などの登場した時期とよく言われるが、意匠の決定や仕様の策定・図面という指示書の作成をデザイナーの行う業務とすると、イギリスでのウェッジウッドが行った陶工の分業化と、それに伴う指示書の作成を行う成形師の登場が、インダストリアル・デザイナーの誕生といっても間違いはない。

以前は職人がデザイン、製造を行っていた。しかし一人の職人が多くの作業を行うことから、製品のクオリティを高めつつ大量に作ることに限界が出てきたため、分業化することで、職人は限定された担当範囲に限って品質を守ればよいことになり、高品質を維持することが可能となった。

デザイナーは各工程の指示書を作成する

しかし、各工程の職人は全体を知らないため、全体を把握し、各工程の指示書を作成する人が必要となった。ウェッジウッドでは、そのような立場の人を成形師と呼び、製品のデザインと作業指示書を作成する業務を行った。

つまり現代で、インダストリアル・デザイナーもしくは、プロダクト・デザイナーと呼ばれる職種は、18世紀中旬に、製品の品質を安定化させる目的の分業化により登場した。

ふつう以上に高い標準を要求して陶工たちを教え込むのは手間がかかるし、彼らに嫌がられもする。だが、製造過程をもっと細かく分業化すれば、部門によってはそれほどの技能がなくてもこなせるという利点がある。そのいい例がクリームウエアへの絵付けの導入だった。グリーンウエアの場合には、釉薬と装飾とが施釉という単一プロセスにおいて組み合わされていたけれど、クリームウエアにおては、施釉と絵付けが全く別々の職人たちの手でおこなわれ、彼らの仕事は指示書きによってきちんと決められていたので、それを職長が監督していればよかったのである。

『欲望のオブジェ』P48

[デザインの差異づけ] なぜ多くのデザインのモノがあるのか?

1895年のモンゴメリー・ウォードのポケットナイフのカタログ
1895年のモンゴメリー・ウォードのカタログの
ポケットナイフのページ P84

1895年のアメリカの通販カタログショップのモンゴメリー・ウォードのポケット・ナイフは「女性用」、「男性用」、「少年用」、そして「男性の大型ポケットやハンティング用」の4つのカテゴリーに分類され、131種類あったとのこと。

ナイフだけでなぜこんなに多くの製品があったのだろうか?以前ライターを販売している会社の仕事をやったことがありますが、そのときのライターのカタログと同じ印象を受けました。社会学者のディヴィッド・リースマン(1909-2002)の各製品の「ほんのちょっとだけ違う」という「限界的特殊化」を想起させるお話です。

フォーティーは、それらの違いを、「年代」「性別」「階級」に相応しいと、それぞれの人々が思うものをユーザーが欲しがっているからだと説明しています。

女性用ナイフは男性用とは異なり、いっぽう少年用は、表面上は男性用ナイフと似ていながら、ほとんど例外なく刃の蝶板がひとつなので、より単純で安価となっていた。他の多くの製品にもみられたそのような区別は、ひとつの仮定のうえにたっていた。すなわち、それぞれ年代や性別、階級ないしランクの違う範疇の人々は、自分たちは他の範疇に属するものと違うと思い、自分たちが買い求め、使用するものにもそのことを反映させたいと望む、という仮定である。

『欲望のオブジェ』P85

[デザインの差異づけ] 男性と女性

1980年ごろのフィリップスの男性用電気かみそり(左)と女性用かみそり(右)
1980年ごろのフィリップスの
男性用電気かみそり(左)と女性用かみそり(右) P89

製品が男性用・女性用で分かれるというのは、現代においては、何の疑問も抱きませんが、メーカー側の視点から考えると、男性用で販売していたものが、女性用にスタイリングを変えて販売したら売れることがわかると、女性用の製品を開発することは容易に想像できます。

図の1980年頃のフィリップスの男性用と女性用の電気かみそりのスタイリングを比較すると、男性用は黒色で無地、女性用は卵型をしていて、装飾用のグラフィックが施されていて、女の人っぽいデザインになっています。

フォーティーは、このようなデザインの違いは生物学的な違いではなく、社会の慣習によって違うと言います。

(時計やクシや電気カミソリなどのような)デザインは、男性もしくは女性にとって何がふさわしいか、という既製の観念への適合ーいいかえれば、男らしさと女らしさについての考え方ーを通じていちばんよく説明される。そして、その男らしさ・女らしさというのは、生物学的な違いではなく、社会の慣習にかかわっているのである。

『欲望のオブジェ』P85

つまり、「女性はかよわくて、繊細なからだや感じやすく情緒的な気質をもっているはずだから、それ(家での来客の接待など)以外の生活には向いていない(P88)」「男性の特質は活力、冒険心、また感情を抑える能力にある(P88)」という男性・女性に関する観念(社会の慣習)を視覚化したものが男性用製品のデザイン、女性用製品のデザインであるということです。そしてそのデザインは、上記のような「男らしさ/女らしさ」のイデオロギーを日常生活で視覚的に浸透させることで、効果的にその神話をわたしたちに思い込ませる役割を果たします。

[デザインの差異づけ] 子供と大人

フランスの歴史家のフィリップ・アリエス(1914-1984)は『<子供>の誕生』(1960年)で、昔は子供は「小さな大人」だったのが、今は子供が「無邪気さやナイーヴさ、美徳を持つ身分」として見られるようになったと言っています。1831年のグロスヴナー一家の絵では、真ん中の男の子がフロックという子供服を来ているが、1751年のジェイムズ一家では、右端の女の子は大人の服を着ている、というように、18世紀と19世紀では子供に対する扱いが変わっているように見えます。

アーサー・デイヴィス「ジェイムズ一家」1751年
アーサー・デイヴィス「ジェイムズ一家」1751年 P90
C・R・レスリー「グロスヴナー一家」1831年
C・R・レスリー「グロスヴナー一家」1831年 P91

子供は19世紀になると、もはや「小さな大人」ではなく、大人とは異なる存在として見られるようになってきます。それに伴い「子供らしく」視覚的にも見えるような子ども用の服、お皿、家具などが登場してきます。

19世紀の末から量産されはじめる中流階級の子供向けの陶磁器やファニチュアは、いかにもそれらしくパステル調に塗られたり、動物の絵とか同様の情景で飾られていた。こうしたものは、子供が自分で買うことはまずなく、それらの姿かたちも、子供自身が望むものというより、子どもの必要を自分たちのそれとは異なるものとして見ようとする大人の願望にかかわるところがおおきかったに違いない。

『欲望のオブジェ』P90
幼児用ティーセットの1点 シェリー・ポタリーズ 1926年
幼児用ティーセットの1点 
シェリー・ポタリーズ 1926年 P96

つまり、「子ども用の製品」というのも、「男性/女性」と同様に、「社会がそう思いたい」という願望を視覚化するもので、そのデザインは「子供にふさわしいと思う大人の推測」を既成事実にするための役割を果たします。

社会的な神話を実現させるのと同時に、服、お皿、家具などを子ども用に販売するということは、メーカーは、それまで大人用のものしかなかった製品に対して、新しい商品をつくり売上を上げることができるため、積極的に製品を開発するようになっていきます。

[デザインの差異づけ] ユニリーバ「サンライト石鹸」(1884年)

サンライト石鹸のはじまり

1884年に食料雑貨業をやっていたW・H・リーヴァー(1851-1925)は、当時買われ始めた石鹸に注目し、「労働者階級」向けに棒状石鹸(販売店で切って売る石鹸)を売り始める。

他の石鹸には特にブランド名はなかったが、彼は自分が販売している石鹸に「サンライト」と名付けて、既に切ってある状態にして、羊皮紙に包装して販売し、店頭に並ぶ他の石鹸と明確に区別できるようにした。これが多国籍企業であるユニリーバのはじまりでした。

リーヴァーの成功は、その多くを、まぎれもなく存在する労働者階級の市場に目をつけ、効果的に宣伝できるような形にデザインし、包装したことに負っている。これはほかの業者の手に及ばなかったことだった。(中略)リーヴァーは宣伝にはとくに苦心し、気の利いたキャッチフレーズを用いら足り、駅や路傍の掲示板、新聞などに広告を出したりする。

『欲望のオブジェ』P103

石鹸自体は、それほど差異を出すことは難しかったが、リーヴァーは
1)労働者階級を対象とする(大量販売を目論む)
2)ブランド名が記載されたパッケージで、店頭での差異化を図る。
3)ブランド名を広告することで、購買へ繋げる

を行うことで、他社との違いを明確に示す点が際立っていた。つまり、販売上の差異ということが重要であることがわかる話です。

[デザインの差異づけ] デザインのヴァラエティが多い理由

デザインのヴァラエティーが多い理由

フォーティーは第4章の最後に、この項目の最初の質問の「なぜポケット・ナイフだけで131種類もあったのか?」の理由を考察している。

理由1)自分の個性をより確かにするため
理由2)製造業者の売上増加の期待
理由3)何を出せば売れるか分からなかったから


としている。いずれもその通りと思われる。メーカーとしては二番目の理由が最も重要だと考えられる。

3番目の理由はデザイナーとしてはとってもよく理解できる理由で、何が受けるか想定できないときは「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」方式で、とにかく思いついたものを出すという考えですね。多くの種類の製品を販売し、売れたものだけを進化させていくということです。とはいえども、この3つの理由の中で最も興味深いのは、1番目の理由です。「他の人と違うモノを持ちたい」という欲求を満たすために多くの製品が登場するという視点です。ただ、フォーティーは、アンティークのモノと違って、大量生産品なのに、同じように考えるのは謎でしかないと言っているのが面白い。

めずらしいもの、ユニークなものの所有によって個性が与えられるという思いは、人々が長いあいだふけってきた幻想である。コモディティ・フェティシズムのこの一面は、おそらく遺物や骨董品、一風変わった美術品などを蒐集する貴族の習いから生まれてきたのだろう。だが、なぜ、そもそもの本質からしてユニークではない製造物までが同じようにみなされるようになったかは謎というほかない。

『欲望のオブジェ』P114

[オフィス] オフィスの神話を強化するデザイン

工場とオフィスの労働

21世紀の現在も、IT企業のおしゃれなオフィス、社食は食べ放題的な話題で盛り上がったりします。その反面、工場と聞くと、あまりそのような話題も出てこないし、おしゃれな工場というキーワードも登場しません。そして、おしゃれなオフィスは憧れの対象になっていたりします。

憧れの対象であるオフィス労働は、実は工場労働と給与は同じくらいで、オフィスでの労働者は、ステイタスがあるように見えて、経済的なステイタスにほとんど差はありません。

そして、労働者の確保という企業側のリクルーティングの視点では、工場とオフィスは労働者の奪い合いをしています。

給料も同じくらいで、作業内容の単調さも同じオフィスと工場は、どのように違ってきたかということ、

工場の使用者たちはこういう状況に対して、より高い賃金を支払うことによって反応する傾向にあったけれど、オフィスの使用者たちは、一般に賃金面で張り合おうとはせず、むしろオフィス労働をいっそう体裁よく見せたり、「快適さ」をはかったりすることによって、工場へ流れて行きかねない人々を引き戻そうとする

『欲望のオブジェ』P182
IBMのオフィス 1980 イタリア
1980年頃のイタリアのIBMのオフィス P183

そのためにデザインが登場します。そして前述したように「オフィス労働」を憧れのようなものとイメージさせることで、オフィスの雇用を確保し、そのイデオロギーを視覚化するためにデザインを用います。

つまるところ、オフィスをおしゃれなデザインにしたりする目的は会社のイメージを向上させたり、雇用を確保するためです。その手段として容易に視覚化できる、つまり目に見えて訴えかけることができる「デザインという手法」を用いるということです。

[オフィス] 効率化が適用されない管理職の備品

タイピスト用の調整可能デスク 1918
姿勢を変える時間を最小限にするデザイン
タイピスト用の調整可能デスク 1918 P159

オフィスと工場の類似点である「単純作業をする」という話ですが、これはフレデリック・テーラー(1856-1915)による『科学的管理法』(1911年)によるものが大きく、最初は工場で取り入れられたが、次第にオフィスにも取り入れられるようになり、オフィス什器や配置、備品などにその考えが反映されるようになった。

図のタイピスト用調整可能デスクも、「作業中に姿勢を変えれば疲労の減少に役立つと認められた結果、特別製の机や椅子がデザインされもする。その第一のメリットは、タイピストがひとつの姿勢から別の姿勢に変えるさいの時間の無駄を最小限に抑えることにあったのである」(P160)

管理職のオフィス メタル・ボックス社 1978
管理職のオフィス メタル・ボックス社 1978 P187

しかし、同じように効率的に作業ができるなら、役員室の家具も事務員と同じにするほうが科学的管理的には良いはずなのに、役員室の家具と一般社員の家具は違うデザインとなる。

管理職用の机は、依然として、事務員の机とは大きさや容量、外観が異なっていた。(中略) (管理職用の机が)大型机の必要があるとすれば、唯一解釈がつくのはステイタスのそれによるものだろう。管理職の机は、文書を保管するためのものではないからである。

『欲望のオブジェ』P162
昼社のオフィス・デスク各種の広告 1961 P192
ヒル社のオフィス・デスク各種の広告 1961 P192

1961年にイギリスのヒル社から販売された、英国のイームズと称されたロビン・デイ(1915-2010)によりデザインされたオフィスデスクは、課長、部長、平社員の机の3つを1つのシステムでデザインすることで、統一感をもたせ、「ヒエラルキーを保ちながら平等性の幻想を生み出すか」(P192)という課題を視覚化している。

各パーツは共通化され、視覚的にも同じように見えるが、袖机の数や横幅で階級を目に見えるようにしたりしています。

各メーカーが売り出す「システム」デザインの画一性におって組織の見かけ上の統一性が保たれるいっぽう、こうした区分けによってヒエラルキーによる分割がふたた顔を覗かせることになったのである。

『欲望のオブジェ』P193

[衛生と清潔] 近代デザインの基本は「衛生と清潔」

コールドスポット(1935)とレナード冷蔵庫(1929) P202
コールドスポット(左/1935)とレナード冷蔵庫(右/1929) P202

レイモンド・ローウィといえば、シアーズ・ローバック社向けの「コールドスポット」が有名です。初年度の1万5000台から5年間で27万5000台販売した冷蔵庫で、デザインのパワーを見せつける製品です。

その特徴は、図のように1929年のレナード冷蔵庫と比較すると一目瞭然です。ここでのデザインのテーマは「衛生と清潔」で、シームレスの外装、くぼみの無さなど、掃除さえしておけばきれいさを保ているイメージでした。

「コールドスポット」は、他の冷蔵庫が持っている操作効率に劣らないだけでなく、いかにも清潔で衛生的なイメージを伝えるものだった。シームレスの外装と曲線的な角、目もさめるように白い仕上げ、そしてほこりの溜まりやすいくぼみや鋳型がないことなどは、きれいにしておきさえすれば、衛生と清潔さをずばり物理的に体現したものに見えるように意図されていたのである。

『欲望のオブジェ』P200

「衛生で清潔」というのは現在では当たり前のイデオロギーですが、当時の製品はその視点ではあまり考える風潮はありませんでしたが、社会が発展していき、感染症などの病気などが社会の敵となっていくことになり、「衛生・清潔・健康」が人々の関心の大きな位置を占めるようになっていきました。そして、それが「きれい=上流階級」「きたない=下層階級」のイデオロギーを創り上げていきます。

清潔は健康と直接に結びつき、その関係は科学的にも証明されているけれど、これが唯一の意義なのではない。おおまかにいえば、清潔だとか汚いとかいうのは、美醜とほとんど同じほど主観的なものだ。もっぱら見るものの目のなかに存在したこうした定義の価値は、それがわれわれに、自分たちの経験を振り分け、世の中に秩序を課す手段を与えてくれるということにある。

『欲望のオブジェ』P203

[衛生と清潔] 衛生上の合理主義が適用されないデザイン

1等車の仕切り席 グレイト・ウェスタン・レイルウェイ 1911
1等車の仕切り席 グレイト・ウェスタン・レイルウェイ 1911 P212

不特定多数の人が使う公共空間では、特に衛生については関心が払われ、鉄道車両は掃除がしやすく、毛羽立たないシートを採用したりして感染症の原因とならないような考えが浸透していった。

しかし、オフィスと同様にステイタスが邪魔をし始める。1等車は「カーペット・カーテン・ソフトな上張り」というホコリが溜まりやすいデザインとなっていた。

ブルジョワジーのあいだに、階級的差異を目に見えるかたちで残しておこうとする風が強かったかので、こうした原則はほとんど例外なく妥協的なものになってしまう。階級の偏見を克服できなかった一例が鉄道客車の場合である。鉄道客車はどうしても不衛生になりがちなため、それらのデザインや造作が衛生改良家たちの厳しい批判にさらされた。

『欲望のオブジェ』P210

こうして、科学的な主張は、オフィスの効率的什器と同様にステイタスに敗北を帰してしまいます。デザインにおいては、科学的視点以上に社会的な立場を示すステイタスが重視されることは、100年以上前から変化していないことがわかります。

[衛生と清潔] 真空掃除機のデザイン

左:フーヴァー700型真空掃除機(1920) 右;1914年のポータブル電気真空掃除機の広告
左:フーヴァー700型真空掃除機(1920) 右;1914年のポータブル電気真空掃除機の広告 P227

最後に、「衛生と清潔」を直接的に実現するための装置として、掃除機のデザインについて見てみましょう。

掃除機自体の機構は、実は発明された当時からほとんど変化はなく、変化していったのはデザインにおける点であったが、当初は、左の広告のように、奉公人が利用する前提であったので、メカニカルな外装であった。

次第に労働者階級も購入することになるが、保健衛生面での動機は問題なかったが、デザインがイマイチ顧客に受けなかった。

セールスマンや広告主にとっては、真空掃除機によってもたらされる保健衛生面での恩恵を強調することはたやすかったけれど、掃除機そのものデザインは、顧客にこの印象をほとんど伝えはしなかった。(中略)1920年代に市販された「エレクトロラックス」型のピストルのようなグリップは、医術の神、アイスクラービウスの杖のシンボルになってはいるけど、その図像性はおそらく微妙すぎて、たいていの顧客にとってはたいした意味を持たなかっただろう。必要なことは、真空掃除機が能書き通りのことをやってくれるという、もっとドラマチックな、目に見える証拠だったのである。

『欲望のオブジェ』P228
フーヴァー150型真空掃除機 1936年 P230
フーヴァー150型真空掃除機 1936年 P230

1936年に、ヘンリー・ドレイファスがデザインしたフーヴァー150型掃除機」はメカニカルな部分を流線型のプラスティックのカバーで覆い、スマートな外観になった。この時期から掃除機は急速にデザインを変化させる。

さらに、プラスチックを使うことで軽量化を図り、イメージ、軽量化共にユーザーに受け入れられやすくなった。「その滑らかさによって衛生観をいやが上にも高めるもの」(P230)であった。

おわりに

家庭の神話の話や、18世紀の中旬頃からのウイリアム・モリスなどが「機械化がデザインをダメにした」的な話に対する疑惑などの話も面白かったのですが、既に長くなってしまったのでこのくらいで終わりにしたいと思います。

ここまで見たように「◯◯はこうあるべき」というイデオロギー(思い込み・神話)を形にした製品が、多くの人に「これ!これ!」と思わせ、「期待通りだ!」という認識で受け入れられ、その製品がさらに人々のイデオロギーを強化させていった歴史を見てきました。ローウィーやドレイファスなどのデザイナーは、「人々が考えている神話をピックアップ」し、「その神話を造形に落とし込む」という2つの能力があったと言えるかもしれません。ただ、デザイナーは案を出すだけで、それを製品にするのを決めるのは最終的には経営者であるため、デザイナーだけの能力とは断定できません。

このような視点から序論に書かれていた言葉、

オブジェ(製品)のデザインにどれだけの芸術的想像力が注ぎ込まれようと、それはデザイナーの創造力や想像力に表現を与えるためではなく、できあがったものを売りやすくし、利潤に結びやすくするためである。

『欲望のオブジェ』P14

の説得力が出てくると思います。「神話をカタチにすることで、売りやすくして、利潤に結びつける」というのがデザイナーの役割だと言うことを改めて噛み締めておきたいと思います。

第5回目のコラムで書いた『インダストリアル・デザインの歴史』の終わりの方に、「デザイナーの役割は商品を売れるようにすること」と書きましたが、今回の「神話をカタチにする」というところがこの仕事の面白さだと改めて感じました。なので、社会がどのような神話を好むのかという謎に向き合い、新しく生まれてくる神話に敏感にアンテナを張って、これからもデザインをやっていきたいと思います。(トリイデザイン研究所 鳥居)

著者について

tadashi torii
鳥居 斉 (とりい ただし)

1975年長崎生まれ。京都工芸繊維大学卒業、東京大学大学院修士課程修了、東京大学大学院博士課程単位取得退学。人間とモノとの関係性を重視した、製品の企画やデザイン・設計と、広報、営業などのサポートの業務を行っています。

2013年から株式会社トリイデザイン研究所代表取締役。芝浦工業大学デザイン工学部、東洋大学福祉社会デザイン学部非常勤講師。
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コラムでは製品を開発する上では切り離せない、経済学や社会学など、デザイナーの仕事とは関係なさそうなお話を取り上げています。しかし、経済学や社会学のお話は、デザインする商品は人が買ったり使ったりするという点では、深く関係していて、買ったり使ったりする動機などを考えた人々の論考はアイデアを整理したりするうえでとってもヒントになります。

また、私の理解が間違っている箇所がありましたら、教えていただけると嬉しいです。デザインで困ったことがありましたらぜひご相談ください。