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『NUDGE(ナッジ) 実践 行動経済学 完全版』を読む [コラム012]

セイラー/サンスティーン『NUDGE 実践 行動経済学 完全版』

今回のコラムは、前回の『ファスト&スロー』で紹介した、経済学者でノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー(1945-)氏と法学者のキャス・サンスティーン(1954-)氏の共著の『NUDGE 実践行動経済学 完全版』(遠藤真美訳/日経BP社/2022)を解説します。

国立がん研究センター
受診率向上施策ハンドブック「明日から使えるナッジ理論」
国立がん研究センター
明日から使える – ナッジ理論

ナッジ」という言葉は聞いたことがある人も多いと思います。たとえば、国立がん研究センターには受診率向上のために「ナッジ」を使った施策を様々試していたりします。

今回紹介する「実践行動経済学」は最初の翻訳が2009年に出版され、情報が追加されたり、状況が変わったものを更新したりして、完全版として2022年に出版されました。最初の2009年版は世界中で広く読まれ、日本でも「受診率向上」や「償却資産の申告促進」「木造耐震化の促進」などの様々な分野で活用されています。

最初に読んだのは14年前で、そのときは「伝え方でモノゴトは変わる」というのを感じた記憶があります。とっても面白かったのでコラムにしたいと思っていたのですが、2022年に改訂版が出たとのことだったので、今回読み直してみました。

情報デザインでの「ナッジ」は応用しやすく、私も問い合わせフォームの設計などでは、後で説明する「選択アーキテクチャー」のルールを使ったり、プロダクト・デザインの分野でも最後に紹介する「見せる防災備蓄庫Stock-Stock」では、商品コンセプトで「ナッジ」の概念を採用したりしています。ユーザーを中心とした商品開発では、認知科学者のドナルド・ノーマン(1935-)「誰のためのデザイン?」と同じくらい重要な位置にある参考図書だと思います。また、行動経済学とは何か?という点については、前回のコラムで簡単に書いているので、そちらをご覧ください。

本書の構成

ナッジ(実践行動経済学完全版):本書の構成

本書の構成は、「はじめに」から「第2部」までの前半部と、「第3部」「第4部」の後半部に分かれます。

前半部は、ナッジの定義や、心理学的根拠となる「ファスト&スロー」の説明、ナッジの構成要素となる「選択アーキテクチャー」の各要素の解説部分です。

後半部は、貯蓄・年金プラン・保険、臓器提供・環境問題に実際にナッジを適用したときの話です。

今回のコラムでは、ナッジの定義や選択アーキテクチャーの要素の説明となる前半部を、図解とともに、できるだけわかりやすく解説していきたいと考えています。また、第1部の「ホモ・エコノミクスとホモ・サピエンス」の部分は、第11回目のコラムで紹介したダニエル・カーネマンさんの『ファスト&スロー』と被る話になるので、説明は省略し、内容の詳細については各項目で必要と思われるところに前回コラムへのリンクを貼っています。

最高のカフェテリアの話

ナッジ(実践行動経済学完全版):最高のカフェテリアの話

ナッジといえば、最初に登場する「最高のカフェテリアは作れるか?」という、学校のカフェテリアの話が有名だと思います。食品の並べ方や棚の位置を変えると、食品の消費量が変わったという話で、図のように、ポテトやデザートが手に取りやすい位置にあると、ポテトやデザートが多く消費されるということです。

たとえば、「学生の健康のこと」を考えて、手に取りやすい位置には野菜を置いて、野菜をいっぱい食べてもらおう。ということもできるようになるということです。

ナッジ(実践行動経済学完全版):いろいろな考え方で並べ方が変わる

並べ方の順番の調査をしていたら、まわりから図のような提案が出てきます。4と5は「学生の健康」を考える前提からすると論外となるが、学生の自由度を考えると、2と3は悪くなさそうです。しかし、やはりラーメンやうどんはランダムに配置されるより近い場所にある方がいいし、そう考えると2は「効率が悪い」です。

3は学生が何を選ぶかは陳列順で決まるので、何を並べたらよいかわかりません。1はカフェテリア側が学生の健康を考えた上で、陳列順を決めるということになりますが、これは「押し付けがましい」側面もあります。

しかし、1番は「カフェテリアの運営者が学生の親の気持ちになって、学生に体に良いものを食べるべき」という考えのもとで並べる案となります。これが本書で言う「ナッジ」です。そして、カフェテリアの運営者は「選択アーキテクト」です。

ナッジ(実践行動経済学完全版):
選択アーキテクトとは?

選択アーキテクトとは、「人びとが意思決定をする文脈を整理して示す責任を負う(P24)」役割の人です。

数多くある条件から、ユーザーにとって利益となる選択項目を決めて、表示したり、陳列したりする人のことで、ものづくりの制作の流れ的には「企画・プランナー」という役割を指す部分です。そして「ナッジ」を考える人です。

「ファスト&フロー」では、人間は「自分の見たものがすべて」とのことだったので、「見え方」は重要な役割となります。

男子用トイレの黒いハエ

次に登場する話は、これも有名な例ですが、オランダのアムステルダムにあるスキポール空港の男性上便器に描かれた「黒いハエの絵」です。

これがあると狙いが定めやすくなります。男はハエを見つけると、それをねらいたくなるものなのです。

アード・キーブーム 実践 行動経済学 完全版 P21

このハエマークをつけることで、小便の飛び散りが80%減ったとのことです。「黒いハエの絵」がナッジとなることで、トイレが綺麗になったということですね。

このように、「ナッジ」は「なんらかの目的を持って誘導させる」ことが基本的な形態となります。

リバタリアン・パターナリズム

著者は「ナッジ」の基本的な考え方は、「リバタリアン・パターナリズム」であると言っています。直訳すると「自由・父権主義」という意味になりますが、その前に、それぞれの意味を改めて見てみましょう。

リバタリアニズムとパターナリズム
リバタリアニズムとは?

個人の自由をなによりも重んじ、それに対する介入・干渉に反対する考え方(P28)

パターナリズムとは?

強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるという理由で、行動に介入・干渉すること(P28)

となります。

どうしても対立する概念ですが、「リバタリアン・パターナリズム」という概念は成立するのでしょうか?成立するとしたらどのような概念なのだろうか?次に見ていきましょう。

ナッジ(実践行動経済学完全版):
リバタリアン・パターナリズムとは?
リバタリアン・パターナリズムとは?

基本的には「人びとの生活がよりよいものになる方向へ進む」(P31)ことができるように、選択アーキテクトが「人びとの行動」に影響を与えようとするパターナリズム的な側面を持ちつつ、選択肢の中には「オプトアウトする自由」もあるので、選択アーキテクトが描くパターナリズムには対立したとしても、オプトアウトする自由もあるということです。

また、この考え方は決してリバタリアンの自由の権利を奪うわけではなく、基本的にはリバタリアンの考え方に則っているという点を強調しています。

リバタリアン・パターナリストは、「人びとが自分の思った通りに行動できるようにしたい」と考えているのであって、「自由を行使したいと思っている人に重い負担をかけよう」とは考えていない。

実践 行動経済学 完全版 P29

つまるところ、「リバタリアン・パターナリズム」とは「パターナリズム自体を選択肢として用意するリバタリアニズム」という意味だということが理解できたので、「リバタリアン・パターナリズム」を前提とする「ナッジ」が何かを見ていきましょう。

ナッジとは?

ナッジ(実践行動経済学完全版):
ナッジとは?

選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、人びとの行動を予測可能なかたちで変える選択アーキテクチャーのあらゆる要素のことである

実践 行動経済学 完全版 P31

と書かれています。

これはどういうことかと言うと、ナッジを利用する場合は、「禁止は使わない」「少ないコストで行う」という前提で、「人びとの生活がよりよい方向へと進むようにする」ために、「人びとの行動を予測可能な形で変える」ことができるツールである「選択アーキテクチャー」の要素すべてを指すと言っていると思います。使い方が名詞的に使われていますが、先程登場した「選択アーキテクト」は、選択アーキテクチャーの仕組みを使って「ナッジをする」ということと理解して良いと思います。また、「予測可能な」という言葉は、「ファスト&スロー」で説明したようなエラーを回避するという意味で使っています。

ナッジ(ひじでやさしく押したり、軽くつついたりすること)

ナッジという言葉の意味は、「人の横腹をとくにひじでやさしく押したり、軽く突いたりすること」(P27)と書かれていて、「ほかの人に注意を喚起させたり、気づかせたり、控え目に警告したりする」(P27)のが「ナッジをする人=選択アーキテクト」ということで、本の表紙の「親のゾウが子のゾウを鼻でつついている」イラストはまさにそれを表したものとなっています。

ナッジが必要な状況とは?

ナッジ(実践行動経済学完全版):
ナッジが必要なとき

では、ナッジはどのようなときに必要なのだろうか?基本的には「ファスト&スロー」で解説した「速い思考」のシステム1のエラーが起きる時と、「遅い思考」のシステム2が疲れてしまった(自我消耗)ときと言えるでしょう。つまり、自分の予測がエラーになる可能性、つまり「正しく選べない/実行できない可能性」が高い場合ということです。

具体的には、図のような例をあげています。住宅ローンを選ぶときのように普段行わないことや、手術後の経過を想定した手術の実施決定などのときはナッジをしたほうがよいと言っています。

慣れない状況にあるときや、まれにしか起こらない状況にあるときだと、ナッジが必要になるだろう。自分の家から地元の食料品店に車で行こうとしているなら、たぶんGPS装置に頼らなくても済む。しかし、行ったことがない町のなかを車で走ろうとしているなら、GPSがないと、どうにもならないかもしれない。

実践 行動経済学 完全版 P138

選択アーキテクチャーとは?

ナッジ(実践行動経済学完全版):
選択アーキテクチャーとは?

選択アーキテクトが上手にナッジできるためのツールを選択アーキテクチャーと言います。選択アーキテクチャーのスローガンとして『ある行動や活動を促したいなら、それを「簡単にできるようにする」こと。』(P158)と書かれており、

人になにかをするようにうながしたいのであれば、それを簡単にできるようにすること。「Make It Easy」だ。

実践 行動経済学 完全版 P160

[選択アーキテクチャー] デフォルト

デッドマン・スイッチ

チェーンソーや芝刈り機のような危険な機械は、スイッチから手を離すと止まるようになっています。このようなスイッチを「デッドマン・スイッチ」と言います。

デフォルト状態、つまり初期状態は、停止して、スイッチを押している間だけ動作し、スイッチを離すとデフォルトに戻るという仕組みです。スクリーンセーバーになるまでの時間も、購入時のままなら、デフォルトの設定のままです。

デフォルトの選択肢

入力フォームなどでは、図のように選択肢1がデフォルトになっているものが多く、特に変更する理由が思い当たらないと、「楽な道を選びたい」ため変更することはありません。

このデフォルトを選ぶのが最も選択アーキテクトの重要な仕事です。私も時々、問い合わせフォームの設計などを行いますが、設計次第で思ったような問い合わせが来なかったりするので、良く議論して決めるべきところです。

義務的選択と能動的選択
義務的選択と能動的選択

選択アーキテクトは、常にデフォルトを用意するのではなく、「選択をする人が自分自身の判断で選択するように設計」できます。

このような方法を「義務的選択」や「能動的選択」と言います。「義務的選択」とは図のように義務的は何か選ばないと次のページに進まなかったりする方法で、「能動的選択」とは、契約書だったり、宣誓書だったり提出が義務付けられている書類のことだったりします。実際には他にもあり、本では他の方法も紹介されています。

1938年のドイツの投票用紙

1938年のドイツの投票用紙
Selbstgescannt (Benutzer:Zumbo), GNU-FDL
選択の強制や悪いデフォルト

1938年にドイツで行われた選挙では、有権者はこう問われた。「1938年3月13日に成立したドイツ国とオーストリアの再統合に賛成しますか。また、われらが指導者、アドルフ・ヒトラーの党に賛成の票を投じますか」

実践 行動経済学 完全版 P162

1938年のドイツの投票用紙の質問は引用したとおりで、ドイツ語のYESである「Ya」の丸が大きく描かれています。デフォルトは「Ya」ですよ、と言わんばかりです。選択の強制の例です。

また、どんな場合でも選択アーキテクトが必ずしも常に「よい意図をもっている」と無邪気に楽観できない状況も多く、後述する「スラッジ」を使って「ユーザーの利益にならないデフォルト」を用意する企業などもあります。

[選択アーキテクチャー] エラーは「起きてしまうもの」と考え

フューエルキャップ
Frettie, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0, via Wikimedia Commons

人間はたいがいは上手に何でもこなすが、ときどきミスをするので、設計時はエラーやミスを想定して、先手を打ってデザイン・設計する必要があると言っています。

図のフューエルキャップは右下にヒモがついていて、ガソリンを入れるときにキャップを開けても、ガソリンスタンドにキャップを置き忘れることはないようにしています。

ここは、設計思想でいうと「フェイルセーフ」の話をしています。また、先述したデッドマン・スイッチもフェイルセーフの一種だとも言えます。

[選択アーキテクチャー] フィードバック

フィードバック

ヒューマンのパフォーマンスを向上させるには、フィードバックを与えるとよい。うまくデザインされているシステムは、うまくできているかミスをしているかを人びとに伝えるように作られている。

実践 行動経済学 完全版 P173

図はiPhoneの電池残量が20%になったときの表示です。電池がなくなることを事前に教えてくれる(フィードバック)することで、充電ケーブルを接続するなどの対策を取ることができます。

「フィードバック」や次に説明する「マッピング」などは、ドナルド・ノーマンの「人間中心デザイン(HCD)」に登場する項目です。「ナッジ」自体も、ノーマン先生の言う「シグニファイア」に近い考え方だと思います。

[選択アーキテクチャー] 「マッピング」を理解する

マッピングを理解する

選択肢を選ぶときに、それぞれの選択をした結果が事前に理解できる仕組みであると、選択しやすくなります。

ただし、図のような「初期の前立腺がん」と告知されたときの治療法とその結果などは教えてもらえるのだろうか?本でも「むずかしい意思決定である」「それぞれの選択肢をとったときの相対的なリスクと便益に関するデータを患者が知っているとは思えない」と書かれており、確かに、治療法などのように、全くわからない状況では、マッピングがあると選択しやすくなると思います。

[選択アーキテクチャー] 複雑な選択も「構造化」でわかりやすくなる

複雑な選択も「構造化」でわかりやすくなる

賃貸住宅を選ぶような、数多くの部屋から自分が住みたい家を選ぶ場合は、条件を決めてから、該当する部屋を絞り込み、最終的には「補償型戦略」で部屋を決めることになると言っています。

これはつまり、数ある選択肢の場合は、情報をカテゴリーなどに分類して表示したり、条件をフィルタリングできるような検索システムを用意すべきであるということです。

また、協調フィルタリングなどを用いた情報提供や、意図的に協調フィルタリングから外れた情報提供をして、自分なら選ばない選択肢をナッジさせるという方法も紹介しています。

[選択アーキテクチャー] 「インセンティブ」の問題

選択アーキテクチャー 価格とインセンティブ

ナッジにおけるインセンティブは、「誰がどれくらい支払うか」「何にどれくらい掛かっているのか」ことを明確にして、情報提供によりナッジさせることで「正しいサービスを選択できるできるように」することです。

たとえば、例に登場するアメリカの利用サービスは、主治医が機器や薬剤を指定し、保険会社や政府がコストを支払い、医療機器メーカーや製薬会社、病院などが利益を得ている。しかし関係者が多く、不透明な部分も多いため、利用者が納得できる状態になっていない可能性もあります。

選択アーキテクチャー 
顕著性(目立ちやすさ)

インセンティブで選択を決める場合には「顕著性」(目立ちやすさ)に注意しないといけません。

図の「自動車を保有する」か「タクシーを使う」かの比較を例にすると、タクシーを使うとき「数ブロック進むごとにメーターが上がってコストがリアルタイムで目に見える」ので、長い距離は運賃が気になってしまい、コストを過大評価(気にする)する傾向がある。それに対して、自動車の機会費用や減価償却費用は結構かかっているのに、目に見えないから忘れがちになり、過小評価(気にしない)する。

つまり、「ファスト&スロー」の「自分が見たものがすべて(WYSIATI)」があるので、見えるものには注意が引かれるが、見えないものは過小評価してしまう。なので、費用を比較するときは、比較できるように情報を提供しないといけないと言っています。

[選択アーキテクチャー] キュレーション

選択アーキテクチャ
キュレーション

「選ばれるサービス」という意味での「選択アーキテクチャー」として、「キュレーション」が有効だと言っています。

内容がわからないときや、なにを選べばよいかわからないときは、「キュレーション」で「ナッジ」してもらうことで、今まで知らかなったコトなどを体験することが可能となります。

信頼できるキュレーションであれば、安心して選択し、サービスに対して納得することができます。

わたしのようなデザイナーという職業は、「使いやすさ」や「美しく見せる」専門家で、「社会をよくする・楽しくするデザイン」のキュレーターであると言えるでしょう。

[選択アーキテクチャー] 楽しくできるように

『トム・ソーヤーの冒険』のペンキ塗りの話

トム・ソーヤーの冒険のこんな話を紹介している。
トムは悪さをして、ポリーおばさんに壁にペンキを塗る罰を与えられ、最初は嫌々やっていたが、ペン・ロジャースがりんごを持ってやってきて、名案をひらめく。楽しそうにペンキを塗りはじめた。

ペンはあまりにも楽しそうにトムがペンキ塗りをしているから、自分のりんごをあげるから塗らせてと頼む。

ある活動を遊びのように見せたり、好奇心をかき立てたり、ドキドキ観やワクワク観を生み出せたりできたら、人はそれを喜んでやるようになるだけでなく、対価を支払ってもやりがたがるようになるのだ!

実践 行動経済学 完全版 P192

まさに、選択項目が「楽しくさせる」ようなものであれば、選択したくなるようにできると言っています。

ファン・セオリー・プロジェクト (2009)

スウェーデンのフォルクスワーゲンが、『「楽しさ」こそが人々の行動を変える一番シンプルで簡単な方法だ』というコンセプトのプロジェクトで、地下鉄の利用者に運動をさせたいために、エスカレーターではなく、階段を使わせるために考えた企画で、期間中に階段を選ぶ人は66%増えたとのこと。

映像がとっても面白いので、ぜひ一度見てみてください。

本書で紹介されていた「選択アーキテクチャー」は以上の8項目になりますが、ナッジの基本思想である「人びとの生活がよりよい方向へと進むようにする」ことを実現する「選択アーキテクチャー」は他にも色々と考えられるので、興味を持った方は、ぜひ自分の提案するアイデアに取り込んでみることをおすすめします。

スラッジとは?

ナッジ(実践行動経済学完全版):
スラッジとは?

スラッジとは、簡単に言うと「悪いナッジ」のことです。ナッジは、「ファスト&スロー」にあるような、人間のエラーを使って、「人びとの生活がよりよい方向へと進むようにする」ように誘導する仕掛けですが、これは悪い目的のために使うこともできてしまいます。

ナッジの向かう方向が、「ユーザーの利益は無視して、企業の利益を最大化する方向」になると「当人の利益」とは無関係になってしまいます。しかし、スラッジは日常生活ではよく出会います。

[スラッジ] 投票させないようにするスラッジ

投票させないようにするスラッジ

たとえば、投票をさせたくない場合は、図にあるような施策を実施すると確実に投票率を下げることは可能です。

これは、法学者のローレンス・レッシグ(1961-)の言う「アーキテクチャ」と全く同じです。物理的・ソフト的に障壁を作ることで、アクセスさせないようにすることができてしまう。

[スラッジ]「サブスクリプション解約」トラップ

「サブスクリプション解約」トラップ

これはセイラーの体験談で、自分の本の書評がイギリスの新聞に掲載されたから、1ヶ月トライアル購読を申し込んで、読み終わったら解約しようとしたときの話。

申込みはオンラインで簡単にできるのに、いざ解約をしようとすると、オンラインでは対応していなくて、電話でしか解約できず、解約までのトラップがあり、意図的に解約しづらくしているスラッジです。後日談として、この新聞社はオンラインでも解約できるようになったとのことです。

最近、話題になったとあるサブスクサービスの解約が2段階になっていて、一度解約をしようとすると、「月額450円安いプラン」を提案されるが、それも拒否すると、「月額1000円安いプラン」を提案され、それを拒否してやっと解約とのこと。ただこれだと、通常価格を支払っている人は、1度拒否したあとの安いプランを選択した人に比べたら損をしていることになってしまう。

[スラッジ]「キャッシュバック」トラップ

「キャッシュバック」トラップ

製品のバーコードなどを郵送で送ったら、キャッシュバックするというキャンペーンがあるが、実際の換金率は10%〜40%という結果となっている。

これは「自分はくぐりぬけなければならない輪はすべてくぐり抜けられる」と楽観視しているユーザーがいるためで、企業側もトラップが数多くあると、応募数は半分以下になることを想定していそうだ。

[スラッジ] 覆い隠された要素

覆い隠された要素

プリンタの価格は安いが、インクは高い。プリンタを購入するときに本体価格のみを見て購入すると、どれくらいのインク費用がかかるか想像がつかないようになっている。

購入時に「覆い隠された要素」があると、実際のコストがわからず、自分が期待するようなコストのプリンタを購入する判断ができなくなってしまう。

ナッジを使った商品デザイン例

ナッジを使ったデザイン例
見せる防災備蓄庫 ストックストック

最後に弊社で企画・デザインした商品で、「ナッジ」を使った事例を紹介したいと思います。

会社の防災備蓄が「どこにあるか?」「何があるか?」という情報を明示して災害時の「人びとの生活がよりよい方向へと進むようにする」ために開発した製品が見せる防災備蓄庫「Stock-Stock」です。

1)オフィス内に置きたくなるデザインの備蓄庫
2)アイコンで使いたいものにすぐにアクセスできる

という特徴を持ちます。

防災備蓄とナッジ
自分が見たものがすべて

一般的に「防災備蓄は見えない場所に隠される」が、災害が発生すると、不安な状態や落ち着かない状態となるため、システム1が幅を利かせる可能性が高く、「自分の見たものがすべて」が働いてしまう。そこで「見える場所に置くのが最適」となり、「災害時に防災備蓄を探す必要がない」ような、見える場所に置きたくなる備蓄庫として設計しました。

見せる防災備蓄庫Stock-Stockはこちら

おわりに

個人的には、「強制でないけど、ユーザーの利益を考えたデフォルト選択肢や、その他の選択肢も選ぶ」ことができるナッジの基本的な考え方は、製品をデザインする上で非常に大切だと単純に思います。何をデフォルトにするかについては、サービスを開発する側、利用する側の双方の意見を参考にしながら慎重に決めていく必要がありますが、状況にあわせて改善していくこともできるはずなので、「考えてみたこと」を実行して、調整していくのが現実的な運用方法だと思います。

ナッジの基本ツールは「選択アーキテクチャー」で、選択アーキテクチャーの要素を適用するときには、「ファスト&スロー」のシステム1の特性を見返しながら考えていくのが良いでしょう。「なぜそのような仕組みになっているのか?」「なぜそのような選択肢を用意するのか?」などを確認するときに、システム1の特性を見直すと、提案に説得力が出てくると思うし、設計やデザインの理由を明確に言語化できる非常に良いツールだとも感じました。

今回は取り上げなかった第3部の「貯蓄をする」ための様々なナッジや、第4部の「臓器提供の同意方式」も興味深い内容で、「多くの人が面倒で考えたくない、やりたくない」という漠然とした部分に正面から挑戦しているストーリーは、自分の立場に置き換えた場合、考えさせられることも多いので、ぜひ手に取って読んでみたいと思います。(トリイデザイン研究所 鳥居)

著者について

tadashi torii
鳥居 斉 (とりい ただし)

1975年長崎生まれ。京都工芸繊維大学卒業、東京大学大学院修士課程修了、東京大学大学院博士課程単位取得退学。人間とモノとの関係性を重視した、製品の企画やデザイン・設計と、広報、営業などのサポートの業務を行っています。

2013年から株式会社トリイデザイン研究所代表取締役。芝浦工業大学デザイン工学部、東洋大学福祉社会デザイン学部非常勤講師。
詳しくはこちら

コラムでは製品を開発する上では切り離せない、経済学や社会学など、デザイナーの仕事とは関係なさそうなお話を取り上げています。しかし、経済学や社会学のお話は、デザインする商品は人が買ったり使ったりするという点では、深く関係していて、買ったり使ったりする動機などを考えた人々の論考はアイデアを整理したりするうえでとってもヒントになります。

また、私の理解が間違っている箇所がありましたら、教えていただけると嬉しいです。デザインで困ったことがありましたらぜひご相談ください。