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2024.07.19

ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』を読む [コラム011]

行動経済学で知られるノーベル経済学賞受賞者で心理学者であるダニエル・カーネマン氏(1934-2024)が今年の3月に亡くなり、追悼の意味も込めて代表作の『ファスト&スロー』(村井章子訳・早川書房/2014)の解説をしたいと考え、第11回目のコラムで取り上げます。

カーネマン・トベルスキー・セイラー

nrkbeta, CC BY-SA 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0, via Wikimedia Commons
Chatham House, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0, via Wikimedia Commons

わたしが行動経済学を知ったのは、2006年に友野典男(1954-)さんが書いた「行動経済学」(友野典男著・光文社新書/2006)との出会いです。カーネマン氏と共同研究者のエイモス・トベルスキー(1937-1996)氏の代表的な研究である「ヒューリスティクスとバイアス」「プロスペクト理論」などを中心に解説している本でした。

ちなみに、行動経済学で最も重要な人はリチャード・セイラー(1945-)さんです。3回目のコラム「映画マネー・ショートからリーマンショックの原因を知る」で取り上げた映画「マネー・ショート」ではセレーナ・ゴメスと一緒に合成CDOの説明をしていたりします。

今回のコラムでは、すべてを解説すると本を読む楽しみがなくなってしまうのと、いつも通り個人的に興味をもった箇所に絞り込んで、図解を入れながら、できるだけわかりやすく解説したいと思います。

そもそも行動経済学って何だ?

まず最初に、先程から説明に出ている「行動経済学」とは何かを最初に説明しておきます。

経済学が前提としている「合理的経済人」は実在しないのでは?

経済学が前提とする人間像というのは、「合理的経済人」と呼ばれ、「自分の利益がつねに最大になるように判断し行動する人間」(『実践行動経済学完全版』P32)です。しかし、私たちの周りにはそんな人間を見かけることはあまりありません。

どちらかというと、「現実の人間は、電卓がなければ長い割り算をてこずるし、配偶者の誕生日を忘れることもあるし、二日酔いで新年を迎えたりする」(同上/P32)ような人間ばかりいるのが実情ではないだろうか。

1970年代初めに、リチャード・セイラーが大学院のときに「合理的経済人」(エコン)を前提に経済学が考えられていることに違和感を感じたことが行動経済学の始まりと言われています。

行動経済学とは

経済学とは、「合理的な行動をとる」人間を前提にした、経済や経済活動の仕組みを考える学問のことです。

行動経済学とは「合理的でない行動とる」人間を前提とした経済学のことを指します。なので、思い込み、感情、自分の知っている情報のみで判断したりするごく普通の人間を前提とした、経済活動の仕組みや未来の提案などをする学問です。

行動経済学と経済学の説明は東証マネ部!のページがわかりやすかったので参照しました。

行動経済学自体は、リチャード・セイラーが提唱した概念ですが、セイラーはカーネマンとトベルスキーの論文に出会って共同研究するようになり、心理学的な根拠の部分を二人の研究を根拠とするようになります。行動経済学の心理学的な根拠の基本的な内容をまとめた本が『ファスト&スロー』と言えるでしょう。

本書の構成

本書の構成

人間が「判断・選択」をするときの、脳の仕組みについて「2つのシステム」を用いて解説するのが第1部、「ヒューリスティック」を用いて判断する際にエラーを起こす場合などの解説が第2部。

人間の思考の弱点である「自信過剰」さについての解説が第3部。選択を行う場合の理論である「プロスペクト理論」等の研究の解説が4部。「経験する自己」と「記憶する自己」の「2つの自己」を解説するのが第五部という構成になっています。

このコラムでは、第1部の2つのシステムと、そのシステムが起こすエラーなどを中心に解説します。「2つの自己」も「自信過剰」も面白い内容なので、ぜひ本書を手にとって読んでみてください。

ファスト&スローとはなにか?

本書のタイトルである『ファスト&スロー』を直訳すると「速いと遅い」になりますが、何が速くて、何が遅いのでしょうか?

ファスト&スローとはなにか?人間の2つの思考モード Thinking Fast & Slow

結論から言うと、思考スピードのことです。
人間には2つの思考モード「速い思考」「遅い思考」があるとカーネマンさんは言います。

速い思考」とは、「2+2の答えを言う」とか「大きな看板に書かれた文字を読む」とかで、とくに何か考えて答えを出すようなものではない思考を指します。

遅い思考」とは、答えを出すのに努力が必要なもので、「複雑な計算」や「歩く速度をいつもより早いペースに保つ」行為や「狭いスペースに車を停める」などちゃんと考えないとできない思考を指します。

脳の中の2つのシステムを「速い思考=システム1」「遅い思考=システム2」と呼びます。ただし、カーネマンさんは下のような注意書きをしています。

システム1とシステム2は、これから本書でお話することの中できわめて重要な位置を占めているので、ここではっきりと、これらが架空のキャラクターであることを言っておかねばならない。システム1と2は、相互作用する部品から構成されたシステムという一般的な意味のシステムではないし、どちらのシステムも脳のどこかに属しているわけではない。(中略)答は、脳にはちょっとした癖があって、こうしたキャラクターを使うほうが有効だからである。つまり、「ある主体(たとえばシステム2)が◯◯をした」と記述するほうが、「あるものには◯◯をする性質が備わっている」より理解しやすい。

『ファスト&スロー 』上巻P57

実際の脳に「システム1を司るところ」「システム2を司るところ」があるわけではなく、「速い思考はシステム1」、「遅い思考はシステム2」と呼んだほうが理解しやすいからそうしていると言っています。それでは早速、システム1の特徴を見ていきましょう。

システム1の特徴:努力しなくても自動的に動く

システム1の特徴

「速い思考」であるシステム1の速さはどれくらいかと言うと、「瞬時に判断するくらい高速なスピード」とのことで、無意識のうちに判断しているイメージのようです。システム1が行うことの代表的なものとして

・認知容易性(上巻P110)
・因果関係を探りたくなる(上巻P137)
・確証バイアス(上巻P148)
・ハロー効果(上巻P149)
・自分が見たものがすべて(上巻P157)
・アンカリング効果(上巻P213)
・フレーミング効果(下巻P236)


等があります。

上の7つは特に個人的に印象に残った部分でしたので、下の方で簡単に解説します。

システム2の特徴:よく考える部分だけど限界がある

システム2の特徴

システム2は「遅い思考」で、じっくりとシステム1の判断をチェックしたりします。システム1の判断がおかしいと思ったら、時間をかけてよく考えて、「比較」したり、「記憶を辿った」りします。

しかし、あまりシステム2を使いすぎると、限界まで行ってしまって疲れすぎちゃって(自我消耗)、カーネマンさんの言葉で言うと「怠け者」になってしまい、うまく判断を下せない場合もあります。

短時間にいろいろなことを同時にやったりすると、それぞれの対応がおろそかになるということでしょう。

本書ではシステム1のエラーを中心に解説しているので、システム2についてはあまり触れていませんので、「自動的に判断するシステム1」「それをチェックするシステム2」があるということを理解していれば、この本を読み解くことはできると思います。

次からシステム1の特徴から個人的に興味を持った7項目を個別に解説していきます。

[ システム1 ] 認知容易性 (上巻P110)

認知容易性の原因と結果

システム1の特徴の一つである「認知容易性」は、「見やすい書類」だったり「何度も聞いたり見たりしているもの」に対して人間は、「親しみを感じたり」「信頼したり」「快く感じたり」する性質のことです。

つまり、内容とは関係なく「とても見やすい書類」は『「信用できる」と見た人に感じさせることができる』ということです。広告などではこのような効果を狙ってデザインされているものがあります。

また、繰り返し発信することで、「親しみを感じたり」するのは「単純接触効果(mere exposure effect)」と呼ばれ、刺激を反復し「反復は認知を容易にし、なじみがあるという心地よい感覚を与える」(上巻P122)ようになります。

最近のUI/UXと呼ばれるアプリ等の設計に使う概念は、「使いやすさ」の認知容易性を狙った仕組みと言うことができるでしょう。認知容易性はデザインを考える上でも重要な概念になります。ただし、内容を明確に伝え、理解させることがデザイナーとしての最優先事項と思いますので、誤解を受けやすい情報のときに認知容易性を用いると不誠実になるので注意しなくてはなりません。

[ システム1 ] 因果関係を探りたくなる (上巻P137)

つじつまのあう因果関係をこさえたがる

システム1は「手持ちの断片的な知識を結びつけて、うまいことつじつまの合う因果関係をこしらえ上げ」(上巻P138) る性質を持っている。

図の例では、フセインが逮捕されたとき(2003年12月13日)のブルームバーグの米国債に関するヘッドラインの話で、最初は「投資家はリスクを避けて安全な資産である米国債」を物色していたが、途中から「投資家はリスク資産に魅力を感じた」から米国債が下落したという話です。しかし、事実は「フセインの逮捕」という断片的な情報しかわかっていないのに、「影響がある」と書いてしまう。

フセインの逮捕は、まちがいなくその日最大の事件である。そして私たちの思考は自動的に原因を探すようになっているので、その日の市場で起きたことは、すべてこの事件で説明される運命にあった。

『ファスト&スロー』(上巻P138)

1945年にベルギーの心理学者アルベール・ミショット(1881-1965)が『因果関係の知覚』で説明した実験を再現した動画を見てください。

普通に見ると、赤色の四角が緑色の四角にぶつかって、緑色の四角が右に行った、というように理解すると思います。

しかし、よく見ると、赤色の四角は緑色の四角にぶつかる前に止まって、緑色の四角は赤色の四角が隣に来たら右に移動しているだけです。ぶつかってないのに緑色の四角は赤色の四角に動かされたと錯覚します。緑色が動いた原因は赤色が隣に来たことではないのに、赤色が原因と考えてしまうという「因果関係の錯覚」という話です。因果関係がないところにも因果関係を見つけてしまうのが人間の癖のようです。

[ システム1 ] 確証バイアス (上巻P148)

確証バイアス
Confirmation bias

システム1は「自分にとって都合のよい情報ばかりを集める」傾向があり、それをもとにシステム2が仮説を検証したりするときがある。

システム1に備わった信じたがりのバイアスは、ありそうもない異常な出来事が起きる可能性を示唆されたり、誇張的に示されたりすると、無批判に受け入れやすい。たとえば今後30年以内にカリフォルニアが津波に襲われる確率を訊ねられたら、あなたは津波のイメージを思い浮かべる。(中略)そして発生確率を過大評価するだろう。

『ファスト&スロー』(上巻P149)

これは、裏を返すと「自分にとって都合の悪いデータは見ない」ということになります。たとえば住宅で天窓を導入したい場合、「部屋を明るくして気持ちいい」反面、「断熱性が低くなったり、雨漏りの可能性がある」点には触れないようにしたりすることなどが、そのような状況かと思います。

[ システム1 ] ハロー効果 (上巻P149)

ハロー効果 Halo Effect

ある人のすべてを、自分の目で確かめてもいないことまで含めて好ましいと思う」傾向のことをハロー効果といいます。

よく芸能人が食レポをやったりしますが、人気がある芸能人だからといって「味覚が確かである」かどうかなんてわからないはずです。なのに、お店には「◯◯さんが食べにきました!」などが書かれていたりします。「(味覚のセンスがあるはずの)この芸能人が美味しいと言ったお店」のように括弧部分を勝手に想像して、「このお店=美味しいお店」と理解してしまうこともそうです。

選挙に芸能人が立候補したり、選挙のポスターを威厳のある角度で顔を撮影したり、親しみのある表情で撮影したりするのも、ハロー効果(Halo effect)の例だと思います。

[ システム1 ] 自分の見たものがすべて (上巻P157)

自分が見たものがすべて what you see is all there is

限られた手元情報に基づいて結論に飛びつく傾向」のことを、「自分の見たものがすべて(What you see is all there is/WYSIATI)」と言います。

手元の情報だけを重視して、手元にない情報を重視しないという話ですが、そんなことがあるのか?と思いますが、ハロー効果がそれほど稀な例でないことを考えるとよくある話かもしれません。

特に入手できる情報が限られているときに、そのように結論せざるを得ないということになりそうです。

WYSIATI 裁判の例

たとえば、裁判で原告Aさんと被告Bさんがいます。「原告Aさんの弁護士から話を聞いたグループ」、「被告Bさんの弁護士から話を聞いたグループ」、「両方の弁護士から話を聞いたグループ」で分けて、あとで話を聞いてみたら、片方の弁護士から情報を得たグループは、両方の弁護士から話を聞いたグループよりも、自分の判断に強い自信を持ったとのことです。

情報が限られている」+「話の整合性がある」= 「間違いない」と思う傾向が強くなるということです。

[ システム1 ] アンカリング効果 (上巻P213)

アンカリング効果 anchoring effect

自分が知らない情報のときに、最初に提示された数字を基準に考えてしまうこと」をアンカリング効果(anchoring effect)と言います。

システム1のアンカリング効果の場合は、暗示的にその数字が活きてくるようになり、たとえば、図のように、ガンジーの亡くなった年齢が何歳かわからないときに、「114歳以上だったか?」というように質問されたときと、「35歳以上だったか?」と質問されたときは、前者の質問をされた回答者は、後者よりも高い年齢を回答する傾向があるとのことです。

アンカリング効果 anchoring effect

住宅の価格、工事費の見積、寄付金など、定価がないようなものは価格は「最初の提示額(アンカー)」にどうしても影響を受けてしまいます。図の例はタンカーの原油流出事故で、海鳥を救うためにどれくらい寄付をするかという質問の回答です。

アンカリング効果は、強い影響を自分に与えてしまうので、影響を無視することは難しいが、影響を少なくするためには、最初に数字が提示されたときは、すぐに回答するのではなく、よく考えて判断する癖をつけておくのが良いということのようです。

[ システム1 ] フレーミング効果 (下巻P236)

フレーミング効果 framing effect

問題の提示の仕方が考えや選好に不合理な影響を及ぼす現象」のことをフレーミング効果(framing effect)と言います。つまり、伝え方で結果が変わるということです。

これは「確証バイアス」が働いたり「自分の見たものがすべて」で判断するからと言われています。

よく考えて「裏返して」見れば、当たり前のことですが、よく考えないのが人間の特性の現れといえます。だから、広告のキャッチコピーなどは、フレーミング効果を考えて作られているものが多いです。

アメリカの食肉の表示では、赤身80%だけの表示は禁止されています。この書き方ではフレーミング効果により、脂肪分のことを忘れてしまうので、図のように、「赤身◯%,脂肪分◯%」という書き方をすることで、購入ユーザーに脂肪分のことを忘れないように注意させます。

このような情報の併記をしておくことで、ユーザーは購入時に考える必要のある情報にアクセスできるようになります。フレーミング効果を防止することはデザインでも解決できる分野です。

[ Heuristics ] ヒューリスティックとはなにか? (上巻P177)

ヒューリスティックとは何か?

システム1は難しい質問が来たときに、よくわからないから、自分にわかるように質問を「置き換え」ます。置き換える前の質問を「ターゲット質問」と呼び、置き換えた後の質問を「ヒューリスティック質問」と呼びます。

「置き換え」をして答えを見つけることを「ヒューリスティック」と言います。以下に紹介する様々なヒューリスティックは置き換えの種類が違うと理解してよいでしょう。

ここで注意しなくてはいけないのは、「置き換え」をしてしまっているから、ターゲット質問に答えているわけではないのと、「適切だけど、往々にして不完全な答え」となる回答を答えてしまうのが、ヒューリスティックです。

[ Heuristics ] 利用可能性ヒューリスティック (上巻P230)

図のような質問のとき、いちいち店舗数をネットで検索したりしないで、「なんとなくコンビニは美容院よりは多いだろう」と勝手に決めつけて私は答えてしまいます。

コンビニは大きくて目立し、利用する回数も多いから、美容院より多くあると思ってしまいます
しかし、実際は
1)美容院 (約25万4000軒)
2)歯科医院 (約6万9000軒)
3)コンビニ (約5万6000軒)

現実は美容院はコンビニの4倍くらいありました。美容院はビルの2階以上にあったり、小さかったりするから自分の記憶からは消えてしまっていそうです。

「思い出しやすさ」で置き換える

利用可能性ヒューリスティックとは、よくわからない状況で判断するときに、「自分の記憶に残っている情報」を使って推測することです。

利用可能性とは「思い出しやすい」などを意味すると思ってください。上の例の場合は、「それぞれの種類の店舗数」を、「自分の生活での接触頻度や、見かける印象などの頻度」に「置き換え」てしまったので、エラーになった例です。

利用可能性ヒューリスティック

たとえば、少年犯罪のニュースを連続して見たりすると、「現在の日本は少年犯罪が増加しているはずだ!」と思うことなどです。実際のデータとは異なるが「ニュースでよく聞く現象は社会全体で増えている」と誤って認識することも利用可能性ヒューリスティックの例です。

知っていると思っている事項であればあるほど、最初にデータをチェックしておくべきであると、思われせるお話です。

[ Heuristics ] 代表性ヒューリスティック (上巻P263)

リンダはどちらでしょうか?

図のようなリンダについての説明を読んでから、リンダがどちらかと言われたときに、わたしはBを選びました。

「リンダの人物像は、『銀行員』と『女性解放活動家の銀行員』のどちらのステレオタイプに近いか?」という質問だと思ったからBを選んだのです。

代表性ヒューリスティック
リンダの職業の確率の質問をリンダの人物像の質問に置き換える

実際は「リンダがどちらである可能性が高いか?」という「確率を聞かれていた質問」だったのに、「リンダの人物像がどちらに近いか?」という質問に「置き換え」て回答してしまいました。

現実的には、「銀行員」と「銀行員かつフェミニスト」の場合は、「銀行員だけ」の方がリンダである可能性が高いから、「銀行員」と回答する方が正しい。

代表性ヒューリスティック
自分の知っているステレオタイプに近いかどうかで判断する

情報が限られているときに推定する場合、確率を考えるのではなく、その情報がどれくらい自分の知っているステレオタイプに近いかどうか、ステレオタイプとの類似性で推定することを、代表性ヒューリスティックと呼ぶ。

紹介した2つのヒューリスティックは日常でもよく使うシーンが多いと思いますので、まとめておきます。
●利用可能性ヒューリスティック
「記憶に強く残っている情報」をベースに評価
●代表性ヒューリスティック
「ステレオタイプと近いかどうか」で評価

と理解していいと思います。

「システム1の働き」「ヒューリスティクス」の解説をして終わりにしようと思ったのですが、トベルスキーとカーネマン氏の最大の功績でもある「損得の説明」として考えられた「プロスペクト理論」も簡単に解説して終わりにしたいと思います。

[ プロスペクト理論 ] とは何か? (下巻P97)

プロスペクト理論
富の効用を説明するための3つの特徴

プロスペクト理論は、「富の効用」(どれくらい損得をしたか)を説明するための「考え方のルール」で、期待効用理論に代わるものとして考えられました。具体的には次の3つのルールを持っている。

1)損得は「参照点」に対して決まる
2)損失は利得より強く感じる(損失回避性)
3)損得の感じ方は低減する(感応度逓減性)


のルールで富の効用を計測するのが「プロスペクト」理論です。

[ プロスペクト理論 ] 参照点に対して実行される (下巻P97)

プロスペクト理論 参照点に対して実行される

たとえばボーナスをもらう前に「今度のボーナスは100万円はありそうだ」と考えます。それが参照点になります。そして、実際にもらったのが「50万円」ならば、50万円損をしたと考える傾向があります。損得の心理的価値は相対的なものであるという前提を忘れないようにしてください。期待効用理論ではこの視点がなかった点が弱点、つまり「損得の効用」をうまく説明することができない理論になっていました。

図のグラフは価値関数と呼ばれるグラフで、参照点は原点となっています。

[ プロスペクト理論 ] 損失回避性 (下巻P97)

プロスペクト理論 損失回避性

「急に棚からぼた餅的に10万円をもらったときの喜び」と、「急に警察から交通違反で10万円の罰金を徴収されたときの悲しみ」を比較すると、後者の方の心理的価値の方が大きく感じられる傾向があります。

価値関数を見ると、同じ100の金額でも損失になった場合と利得になった場合では心理的価値が倍近く異なります。

[ プロスペクト理論 ] 感応度逓減性 (下巻P97)

プロスペクト理論 感応度逓減性

感応度逓減性は、たとえば「1000万円の年収をもらっている人が10万円の手当をもらったときの嬉しさ」より「100万円の年収の人が10万円の手当をもらったときの嬉しさ」の方が心理的価値が高くなるという意味のことです。

これは感覚的にも理解できる話だと思います。期待効用理論でも価値低減は説明されていました。

価値関数のグラフも、傾斜が緩やかになって平らになっており、限界に近づいています。

おわりに

『ファスト&スロー』は、カーネマンさんの膨大な研究内容をまとめた本ですが、あまりにも多岐に渡るため、今回は「ファスト」の部分であるシステム1から7つの特性を紹介したのと、「困難な質問に対して、適切ではあるが往々にして不完全な答えを見つけるための手続き」であるヒューリスティクスから2つ紹介し、最後に「得や損の心理的価値」を体系化したプロスペクト理論について、研究者でなく普通の人でも理解できそうな内容にして解説してみました。なるべく色々と調べながら書いてみましたが、私も専門分野ではないので「勝手に理解した」部分も多くあると思います。間違っている点などがありましたら教えていただけると幸いです。

今回のコラムは、何かをデザインしたり、計画したりするときに、システム1の性質や、ヒューリスティクスやバイアスなどを知って計画すると、よりよいモノをデザインできるのではないかという観点から取り上げてみました。特に自分も含めてですが、「自分が見たものすべて(WYSIATI)」で考えたり判断したりすることが多いから、UIでのボタンの数や位置、説明などが「提供者にとって都合の良いものになっていないか」「ユーザーへ情報が制限され損をしていないか」などを考えて設計しないといけないことがわかります。自分がデザインしたものが知らないうちに「フレーミング効果」が働いていたりすることもありそうです。フレーミング効果を使った情報提供が必要な場合もあると思いますが、そのようなときはしっかり意図して計画し、それなりの理由を考え、情報を整理してデザインする必要がありそうです。

最後に、この本を読んだから「人間の認知装置がもともと持っているエラー」を改善できるかと言われると、「改善できないでしょう」と回答するのが正直な意見になるものの、「システム1の動き」や「行動経済学」が気になったなら、ぜひ読んでみて欲しい一冊です。(トリイデザイン研究所 鳥居)

著者について

tadashi torii
鳥居 斉 (とりい ただし)

1975年長崎生まれ。京都工芸繊維大学卒業、東京大学大学院修士課程修了、東京大学大学院博士課程単位取得退学。人間とモノとの関係性を重視した、製品の企画やデザイン・設計と、広報、営業などのサポートの業務を行っています。

2013年から株式会社トリイデザイン研究所代表取締役。芝浦工業大学デザイン工学部、東洋大学福祉社会デザイン学部非常勤講師。
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コラムでは製品を開発する上では切り離せない、経済学や社会学など、デザイナーの仕事とは関係なさそうなお話を取り上げています。しかし、経済学や社会学のお話は、デザインする商品は人が買ったり使ったりするという点では、深く関係していて、買ったり使ったりする動機などを考えた人々の論考はアイデアを整理したりするうえでとってもヒントになります。

また、私の理解が間違っている箇所がありましたら、教えていただけると嬉しいです。デザインで困ったことがありましたらぜひご相談ください。