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2025.04.01

ノルベルト・エリアス『文明化の過程』を読む [コラム016]

ノルベルト・エリアス『文明化の過程』を読む

コラム第16回目は、ノルベルト・エリアス(1897-1990)『 文明化の過程 』(法政大学出版局 1977/赤井 慧爾ほか訳)(原書初版1936)を取り上げます。この本は国際社会学会が選定した「20世紀の社会学で最も重要な10冊」に選ばれており、ブルデュー(1930-2002)の「ディスタンクシオン」(1979)、ゴフマン(1922-1982)の「日常生活における自己呈示」(1959)なども選定されていて、いずれも普段の生活から見えにくい社会の姿をうまく解き明かした内容の社会学の名著です。

ノルベルト・エリアス『文明化の過程』を読む

前回のコラム「ディスタンクシオン」では、自分の趣味は社会的に作られているという話を取り上げ、その趣味は社会での自分の地位を証明する、地位争い(象徴闘争)のための道具になっているという話をしました。

そして外観の見た目を、スタイリングとして作り出すデザインという作業は、「商品を購入した人々の立ち位置を顕示するための道具を作る」という作業でもあるとも言えるでしょう。

その立ち位置は、「上品/下品」「派手な/地味な」「洗練された/粗野な」「しゃれた/野暮ったい」という区別で差異化されていきます。

個人的には、この「差異化を発動させる区別がなぜ人々の中で生まれるのか?」という点が気になっていたのですが、今回紹介する『文明化の過程』は、その差異化が人間に自明のものではなく、歴史的に人々が生活する社会の中で生まれていった話をしているので取り上げたいと思いました。というのも、礼儀作法などの「人の振る舞い」を通じて「人間同士の差異化」を目に見えるようにすることで、差異化=礼儀作法「社会を文明化させるための駆動力」のひとつとして「国家や組織の秩序」を成立させていったことを解説している本だからです。

今回は、『文明化の過程』を私なりに理解した観点から、できるだけ内容をわかりやすく解説していきたいと思います。

『文明化の過程』を読むにあたって参考にした本

本題に入る前に、『文明化の過程』を読むにあたっての参考図書を紹介しておきます。
エリアスの文章は繰り返しが多い印象ですが、『文明化の過程』はおよそ900ページと分量は多いものの、それほど難解には書かれていません。

ノルベルト・エリアス『文明化の過程』を読む

ただ、読み終わったあとに、なぜか宙吊りにされた感じで、「この理解であっているの?」と心配になってきたのでエリアスについて書かれている本を参照しました。もしエリアスに興味を持たられたら、ぜひ読んで欲しいです。

左上:奥村隆『エリアス・暴力への問い
右上:内海 博文『文明化と暴力
左下:大平章ノルベルト・エリアスと21世紀
右下:大平章『ノルベルト・エリアスの全体像

個人的に一番のおすすめは奥村隆(1961-)さんの『エリアス・暴力への問い』(勁草書房 2001)です。「文明化された人間がなぜ暴力をふるうのか」というテーマでエリアスの研究を分析した本で、とても読みやすく、奥村さんは文章がとても上手なので、対象を客観的に「距離化」しつつも、感情移入させるように「参加」をしてしまいました。

少し逸れますが、私が社会学を学ぶのに教科書として読んだのが奥村隆さんの『社会学の歴史Ⅰ』(有斐閣 2014)、『社会学の歴史Ⅱ』(有斐閣 2023)で、社会学に興味を持ったのも『反コミュニケーション』(弘文堂 2013)でした。『反コミュニケーション』の出だしの文章「私はコミュニケーションが嫌いだ。できれば人と会いたくない。ひとりでいたい。電話もメールもしたくない。」は印象的でとても気に入っている文章です。

この本の構成

まず最初に「文明化」とは何か?と説明(第一部)したのち、「文明化」がどのようなプロセスを経たのかを、「礼儀・風俗」などの人間の行為の変遷(第二部)と、「政治・経済」などの社会構造の変遷(第三部)を見ていき、「礼儀・風俗」と「政治・経済」などが「相互に影響を与えあっている」ことを説明(まとめ)するという流れになっています。

『文明化の過程』の構成

『文明化の過程』は上下巻の二巻に分かれています。上巻は
第一部:「文明化」と「文化」という概念の社会発生について
第二部:人間の風俗の独特の変化としての「文明化」について
から構成され、「文明化とは?」に該当する第一部は、フランスとドイツでの文明化の意味の違いや、市民と貴族の関係性などについて解説しています。「礼儀・風俗の変遷」にあたる第二部は、マナー・エチケットの歴史的変遷をエラスムス(1469-1536)の『少年礼儀作法論』(1530年)やデラ・カーサ(1503-1556)の『ガラテオ』(1558)などの文献から、具体例を示しながら解説しています。

第二部人間の風俗の独特の変化としての「文明化」についての構成

エリアスは「文明化の過程」を説明するために、一見どうでもいいようなマナーやエチケットに着目して文明化の隠された原動力を探ろうとします。そこがエリアスの面白い点でセンスのある点だと思います。

そのマナーやエチケットの具体例は、行為に関する歴史なので、読みやすく、特に難しい話もなく面白く読める部分です。具体的には食べ方や、食事中の振る舞いや、トイレやおならの話なので、興味を持った方は、まず上巻の第二部から読んでみるのをおすすめします。

2025年のわたしたちの観点から見るといささか面食らうところもあり、それが面白い点であり、「文明化」以前の人間そのものであり、まさに「文明化の過程」そのものを描いている部分です。

上巻では、序論にタルコット・パーソンズ(1902-1979)のシステム論についての批判が書かれていますが、ここは私がパーソンズの本を読んだことがないのと、エリアスの社会学の方法論を主張している箇所なので、今回のコラムでは除外します。

封建社会から絶対王政国家へ

下巻は、
第三部:ヨーロッパ文明の社会発生について
まとめ:文明化の理論のための見取図

となっています。

「政治・経済の変遷」にあたる第三部では、中世ヨーロッパの封建社会の発生、つまりフランスで言えばカペー朝(987-1328)から始まった、まだ国家とは言い切れない「領邦君主の集まりの集団」の成立から、領邦君主たちを束ねて中央集権化する絶対王政国家への歴史について解説している。

第二部と第三部でそれぞれ解説した「礼儀作法」と「社会構造の変化」を統合して解説するのが「まとめ」です。

文明化は自己抑制を人間に要求していく

まとめでは、封建社会から絶対王政国家へ至るにつれて、社会が貨幣経済化し、近代国家の特徴である

1)軍隊や警察の形での国の「肉体的暴力の独占」
2)国が都市を守るために租税する「租税の独占」

などにより時代が、中世時代の戦士貴族(騎士)のように「自由にモノを奪い取る」ことができなくなり、人々に「自己抑制」を要求していきます。

そして自己抑制をせざるを得なくなっていくと、戦士貴族たちは、自分の地位を維持するために、マナーやエチケットなどを用いて、「お行儀の良さ」で貴族の立場を制御していくという、社会構造の変化と礼儀作法の変化の関係性を説明しています。

つまり、「お行儀の良さ」は人間の普遍的な価値でもなければ、人間が計画的に生み出したものでもなければ、たまたま社会的な事情で作られたものであることがわかります。「せざるを得なかった」のが実情でした。

また、エリアス的には、「文明化」はヨーロッパの人は偉そうに言うけど、たまたま偶然に作られたもので、合理的に生み出されたものでもなければ、「そうせざるを得なかったからできた」だけのものであると、ということが言いたかったのだと思います。先走ってしまいますが、これはつまり、20世紀にヨーロッパで起こる「野蛮な出来事」は、このような不安定な「文明化」の礎の上にあったということを伝えたかったのではないかとも思います。

上記の流れで『文明化の過程』は話が進みます。
次に、迂回してしまいますが、第一部に入る前に前提知識として「フランス王朝の歴史」と「エリアスの略歴」について簡単に解説したいと思います。

フランス王朝の歴史

フランス王朝の歴史
※主要な国王のみ記載しています

ここでざっくりですが、フランク王国が東西に分離して西フランク王国(843-987)成立ののち、現在のフランスの原型である、フランス王国が誕生した987年から、フランス革命までの流れを確認しておきましょう。

私は高校時代、社会は地理を選択していたので、世界史がイマイチわからず、この流れを知っていないと『文明化の過程』も理解しにくいので、書いておきました。

フランスは10世紀、987年にユーグ・カペー(940頃-996)がフランス王国のカペー朝の王になったことから始まります。ただし、その時代はまだカペーの領地はパリ周辺くらいだったらしく、今のような一つの国家として成立しているというより、数多くの領邦が集まった国というイメージと捉える方がエリアスの話が理解できます。

ルイ6世時代(1108年即位)の王領はパリ周辺のわずかで、西フランク地域は多くの領邦君主に比較的均等に配分されていたが、シャルル4世時代(1322年即位)に王家と競争できるものはブルゴーニュ公など四家しかいない。

『エリアス・暴力への問い』 P73

そのうち、徐々に力の強い領邦が決まってきて、14世紀頃にはすでに王家と戦える領邦は4家しかいなかったようで、王朝への権力が高まり、国家としての一体感が作られてきました。『文明化の過程』では、15世紀から18世紀の話が中心となり、自己抑制の要求が最も強かったルイ14世(1638-1715)の時代の記述も多いため、絶対王政時代がどの時代か、などアンリ4世(1553-1610)はどの時代か、などがおおまかに掴めると『文明化の過程』を理解しやすいと思います。

ノルベルト・エリアスについて

ノルベルト・エリアス略歴

エリアスの略歴を見ると、カール・マンハイム(1897-1947)の助手になってから、1933年にナチスが政権を取るとユダヤ人であるマンハイムは亡命してしまうので、同じくユダヤ人であるエリアスも国外に出ていきます。

1934年にロンドンに行くものの、英語が母国語でなかったせいもあって、そこからなかなか教職に就くことができず、57歳になってレスター大学で講師として社会学を教えるという、30代〜40代の活発的に動けるときに戦争が重なり不遇な人生を送りますが、39歳のときに書いた『文明化の過程』が72歳の時に再刊され評価されてから輝かしい人生となります。

『文明化の過程』の扉には、
わが両親 ヘルマン・エリアス(1940年 ブレスラウで死す)
     ゾフィー・エリアス(1941年?アウシュビッツで死す) の思い出に捧ぐ
と書かれており、両親がナチスに殺されるという、戦争でエリアスの家や人生は非常に辛い思いし、それゆえ、エリアスは「文明化された人間がなぜ暴力をふるうのか」というテーマを生涯に渡って取り組んだと思われます。

[第1部] 文明化とは? ー誇らしい自己意識ー

この本はそもそも、ヨーロッパの文明化の過程をエリアスの文献調査を通してみていくのですが、その「文明化」とはそもそも何か?ということですが、最初に文明の意味をgoo辞書から引用します。

人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態。特に、宗教・道徳・学問・芸術などの精神的な文化に対して、技術・機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的文化をさす。

goo辞書「文明」
「文明化」という言葉が持っているもの

と書かれています。「文明化」とは、経済的・物質的な社会になっていくことを意味するということですね。その反面、「文明化」という言葉には文字通りの意味を超えたイメージも持ちます。

つまり、単に「経済的・物質的な社会になったよ!」というだけでなく「俺達すごいやろ」という意味も持ち始めます。おそらくですが、それをエリアスは「自分たちが誇りにしているもの」であり、「誇らかな自己意識」であると言います。それらは、技術だけでなく、礼儀作法や学問、宗教、暮らし方、処罰の形式、食事の形式などの社会全体に関わる領域に関係しています。

この概念はヨーロッパの自己意識を表しているのである。それは国民意識とも言えるかもしれない。
要するにこの概念は、最近の二、三百年のヨーロッパ社会が、それ以前の社会あるいは同時代の「もっと未開の」社会よりも進化して持っていると信じているものすべてをまとめている。
この概念によってヨーロッパ社会は、その独自性を形成するもの、自分が誇りにしているもの、すなわちその技術水準、その礼儀作法の種類、その学問上の認識もしくはその世界観の発展などを特徴づけようとする。

『文明化の過程』(上巻) P68

この言葉が具体的に「正当性」を帯びてしまうのが、16世紀のイギリスから始まる「植民地支配」などです。次にエリアスは「誇らしい自己意識」自体が近世のドイツとフランスでは異なることを指摘し、どう違うかを見ていっています。

[第1部] フランスとドイツの「誇らしい自己意識」の違い

フランス「文明化」とドイツの「文化」の違い

近世ではフランスとドイツでは「誇らしいと思うもの」が違うかったようで、フランスでは宮廷社会を舞台とした「礼儀作法」を中心として、暴力を振うことなく、対話で進めていく社会を構築し、それが「進んでいる」指標となっていました。

ドイツの中間階級では、フランスの「文明化」は「軽薄」で「外面的」なものに過ぎないと軽蔑し、「学問や芸術での精神性」が誇らしいものだと思う傾向が強まっていきます。

これらの特徴をまとめると、「外交的なフランス」と「内向的なドイツ」という感じがします。現在でもなんとなく「ゴージャスなフランス」と「真面目なドイツ」というイメージがなくもありません。

[第1部]「誇らしい自己意識」は社会状況から生まれたものにすぎない

ドイツの国民意識が「文化」を誇らしく思うようになった経緯

それでは、なぜドイツが「文化」を「誇らしく思う」ようになったのかと言うと、エリアスによると、そもそもドイツ(神聖ローマ帝国)は小さな領邦が集まった国で、貴族と中間階層が全く分離していて、中間階層である市民は政治や経済に対して何もすることができなかったから、自由に活動ができる「学問や芸術」が独自に発展していく。そうすると、市民にとっての「誇らしいと思う自己意識」は知性や文化という流れになります。

ただ、それは裏返すと、中間市民階層も貴族に交わって政治や経済の覇権を取ることができれば、学問や芸術を重んじなかったとも言えます。だから、エリアスは、ドイツの誇らしげな「文化」は主体的にやってたのではなく「そうせざるを得なかった」にすぎないと言う。「文化」を重んじる傾向自体は崇高な思想でもなんでもないと。

フランスの国民意識が「文明化」を誇らしく思うようになった経緯

ではフランスはどうだったかというと、そもそも貴族と中間階層の垣根は高くなく、中間階層でも官吏として国の政治や経済に関わっていて、貴族に対して批判的でもなかった。

そうなると、中間階層も自分を正当化するために、「上品さ」や「礼儀」を行うようになり、そのうち国民的性格となっていき、そらが他の国との違いを表すアイデンティティとして「誇らしく思う自己意識」として「文明化」を捉えるようになっていく。

ここでも同じように、中間階層たちも特に主体的に「上品さ」や「礼儀」を身につけるぞ、と考えていたわけでもなく、自分の立場を正当化したかったから「文明化」を誇りに思うだけだった。

その「誇らかな自己意識」は、
政治や経済から阻害された人々(ドイツ市民層)が自分が誇りうるものを強調した概念
宮廷内で改革を進める人々(フランス市民層)がその立場を正当化するための概念
に、すぎない。「自分たちは優れている」という「自己意識」は、たかだかこのような社会状況で生まれたものにすぎないのだ。

『エリアス・暴力への問い』 P34

つまるところ、フランスもドイツもそれぞれの「誇りに思う自己意識」は計画的に身につけようとしたわけではなく、単にそういう外的要因でなっただけだから、そんなに強く自慢できるほどのものでもないよ、というわけです。

それでは次は、そのような「誇りに思う自己意識」が生まれる前の中世ヨーロッパの風俗の変化を紹介している第二部を見ていきましょう。

[第2部] エラスムス『少年礼儀作法論』

『少年礼儀作法論』(1530)の構成

第二部は「礼儀作法」の変遷から「文明化の過程」を見ていきます。

エリアスは「礼儀」は社会の状況・自己意識・性格が表現されているといい、そのはじまりはエラスムスの『少年礼儀作法論』(1530)であるといいます。

エラスムスの『少年礼儀作法論』はどんな本だったのかというと、「ある君主の王子」に捧げられた本で、つまり、こどもに対して「礼儀作法」を教えるための教則本です。エラスムスは「肉体の外面的な上品さ」をメインに作法を教えてくれます。

肉体の動き、身振り、着付け、顔の表情、この著作が扱っているこれらの「外面的な」振舞いは、人間の内面を、人間全体を表すものである。エラスムスはそれを知っていて、ときに応じてそのことを強調している。「この肉体の外面的な上品さは、平静な心から出てくるものであるが、それでもわれわれは、教化の不足から、有能で学識ある人に、この上品な態度が欠けているのをよく見かけるのである。」(中略)エラスムスはかれの著作で、非常に念入りに、人間の振舞いの周辺を、すなわち社交生活の主要な状況を見て回っている。かれは人間の交際の最も微妙な問題も、最も基本的な事柄も、同じように自明のこととして述べている。

『文明化の過程』上巻P143-147
礼儀作法本の歴史

この『少年礼儀作法論』は実は16世紀にヒットしてよく売れた本で、真似て作った本なども登場し、それから礼儀作法本が登場していくことになります。

エリアスはこれらの礼儀作法本に書かれている内容から、「食事」「生理的欲求」「洟をかむ」「つばを吐く」「寝室」「男女関係」の変遷について、それぞれの礼儀作法本を引用して、具体的に見ていっています。

ここではすべてを紹介すると長くなってしまうので、「文明化の隠された機能」を説明するために、トイレなどの「生理的欲求」をテーマにした第五章を代表例として簡単に紹介します。

[第2部] 生理的欲求に対する考え方の変遷

それでは早速具体例を引用してみよう。1568年の『生徒の対話集』(フランス)から。

1568年の教科書、マテュラン・コルディエ著『生徒の対話集』の中で、教師が生徒のひとりに語っている。「きみが起きてから朝食までしたことを、正確に順序立てて話してごらん。ほかの皆さんもかれに見習えるように、注意して聞いてください。」生徒の答えは次のごとくである。「目を覚ましてベッドから起き上がり、シャツと上衣を身に着けました。・・・それから寝室を出て、階下へ降りました。中庭で壁に向けて小便をしました。桶から冷水を組み、手と顔を洗いました。」云々。

『文明化の過程』上巻P285
『生徒の対話集』の起床から食事まで

子ども向けの教科書にこう書かれているということは、「中庭で小便をすること」は1568年当時では、特に恥ずかしいことでも、咎められることでもなく、普通のコトであったことがわかります。

続いて1570年の『ヴェルニゲロード宮廷規約』(ドイツ)を見てみましょう。

何人ともいえども、宮廷やしつけのよい立派な家庭に出入りしたこともない野人のように、臆面もなく何の恥じらいもなしに、婦人の居間や宮廷内のその他の室の戸口や窓の前で、用便をするようなことがあってはならない。時と場所を問わず、各人が分別ある身だしなみの良い、きちんとした言葉や態度で振舞わねばならない。

『文明化の過程』上巻P276
ヴェルニゲロード宮廷規

ヴェルニゲロード宮廷規約は「居間の中や扉の前、窓の前で、用便をしてはいけない」と注意しています。現在のわたしたちからすると、「そりゃダメに決まってるでしょう!」となりますが、1570年以前は、「居間の中や、扉や窓の前で用便をする」のは特に注意されるようなことではなかったということです。

当時は、ほとんどすべての居場所が、生理的行為の場所として用いられたが、時代が進むにつれて禁止(抑制)されていきます。

久しい間、街路、否、ほとんどすべての居場所が、先述の中庭の壁同様、生理的行為の場所として用いられた。もし生理的欲求が起これば、立派な館の階段でも、窓の隅でも、壁掛けでも、その場で用を足すことが決して特に異常なことではなかった。(中略)だが同時に、これらの引用例から明らかなことは、社会的に依存し合った多数の人間同士の宮廷での特殊な共同生活が長引くにつれて、本能処理を規制し抑制しようとする上層部の圧力が次第に強まってきたという点である。

『文明化の過程』上巻P286

つまり、生理的欲求のような本能処理は、「人に見せてはいけない」ものとなっていきます。そして時代が進むにつれて、そのようなことは羞恥心を感じるようなこととなり、それらは抑制されパブリックな空間からは「隠されて」いくようになります。

このように羞恥心を感じるものを表出すると、他の人が不快感を感じるようになり、ますます「不快感を感じさせない」ように自己抑制していきます。「感情に任せた発言」なども抑えられるようになり、「上品」になっていくということです。

自己抑制を要求する社会になっていく

つまり「上品な振舞い」=「自己抑制した振舞い」ということもできるでしょう。逆に言えば「下品に振る舞う」と他の人々に「不快感」を感じさせ、自分が社会から「隠されて」しまいます。

エリアスは「今日の情感克服の規範にふさわしく「病気」「病的」「倒錯的」と見なされて、他人との交際からあっさりと締め出されてしまうであろう。」(『文明化の過程』上巻P292)と書いています。

[第2部] 中世時代の騎士たちの攻撃欲について

近世における貴族はもともと、中世では騎士(戦士貴族)であった。時代が経過するにつれて、彼らにも自己抑制が働いていくが、彼らが騎士であった時代の自己抑制が働く前の当たり前であったことがどのようなものであったかを解説しています。

掠奪・戦闘・人間狩り・狩猟、それらすべてが中世社会では、社会構造に応じて公然と認められた生活必需物の一部を占めていた。したがってそれらは権力者や強者にとって、人生の喜びに欠かせぬ要素であった

『文明化の過程』上巻P374
人生の喜びに欠かせぬ要素

つまり、暴力で土地を奪ったり、モノを奪ったりすることが普通で、それらを獲得することは「人生の喜びに欠かせぬ要素」であったとのこと。現代の時代で言うと、「仕事の契約を取ってくる」「仕事が成功する」というのと同じであった。

具体的に知るために、リシェール『尊厳王フィリップ2世時代のフランス社会』(1909)の戦士について書かれた箇所の引用を見てみましょう。フィリップ2世は1180-1223に即位したフランス国王です。

たとえばある騎士について、以下のように記されている。
「かれは掠奪したり、教会を破壊したり、巡礼者を襲ったり、寡婦や孤児を苦しめながら生涯を送っている。かれは特に無実な人々を不具にすることに楽しみを見出している。サルラの修道院だけでも、かれが手を切り取り、目の玉をえぐり取った150人もの男女がいる。かれの妻もかれに劣らず残忍である。彼女は夫の執行の手伝いをする。哀れな女たちを苦しめることに、彼女は喜びを覚える。女たちの乳房を切り落とさせ、爪を剥がさせるので、彼女らは働くこともできなかった。」

『文明化の過程』上巻P376

現在のわたしたちからすると、不快で困惑を感じるような出来事で、「サルラの修道院大事件」と取り上げられてもおかしくありませんが、当時はこのような行為に対して社会制裁はなく、日常的に行われていたと思われます。エリアスは続いて以下のようにいう。

そのような情感の爆発は例外現象、「病的」な変種として、社会発展の後世の段階にも見られるかもしれない。だが当時は、そうした行動を罰する社会制裁はなかった。騎士たちにとって不安を呼び起こす可能性のある唯一の脅し、唯一の危険は、戦闘で強者に打ち負かされるという危険だけであった。

『文明化の過程』上巻P376

つまり、戦闘で強くならないと、攻撃されて土地も命も奪われる「不安」が常にあるため、戦闘をし続けるしかなかったということです。人間がもともと攻撃欲を持っているというより、社会的状況で「攻撃欲」を持たざるを得なかったとも言えます。

[第2部] 『中世家庭本』(1480年頃)から騎士の生活を見る

ここまで中世の上流社会の礼儀作法書などから当時の「人間の感情表出の変遷」をみていきましたが、エリアスはここで、その変遷の原因を探る上での補足として「中世の戦士の生活」を1480年頃にドイツで書かれた『中世家庭本』(Hausbuch)という文献を元に見ていこうと提案します。

『中世家庭本』はそのタイトルと違って騎士の生活を描いたスケッチ集で、エリアスは作者を「世の中を騎士の目で見つめ、騎士階級の考え方にかなり同化していた男だったに違いない。」と言っており、騎士の視点からの中世の時代の世界を知ることができる文献です。WikipediaにAndreas Praefckeさんがパブリックドメインで画像を公開しているので、この章を読む場合は、『中世家庭本』のスケッチを見ながら読むと理解しやすいです。

Hausbuch Wolfegg 11r Saturn
『中世家庭本』土星
Das mittelalterliche Hausbuch aus der Sammlung der Fürsten von Waldburg
写真: Andreas Praefcke

たとえば最初に、土星のもとに生まれた人々を描いたスケッチがある。そこでは前景にいる哀れな男は、倒れた馬の臓腑を抜いているのか、もしくは使い物になりそうな肉の断片を切り取ろうとしている様子である。前屈みになった拍子にズボンが少しずれ落ち、尻が覗いていて、一匹の牝豚が背後からかれの尻を嗅ぎ回っている。(中略)さらにずっと遠くの方では、襤褸(らんる)をまとった男が絞首台に引かれていく。その傍らには兜に羽飾りをつけた武装兵が誇らしげにつきそい、片側では修道服をまとった僧が、大きな十字架を差し伸べている。そのあと騎士が二人の従卒をつれて馬で進む。岡の上の絞首台にはひとり処刑者が吊るされており、車責めの列車には屍が縛り付けられたままである。黒い鳥が数羽あたりを飛び交い、その一羽は屍を啄んでいる。
絞首台は決して際立たされていない。それは小川や樹木と同じように描かれている。(中略)絞首台は騎士の裁判権の象徴として、騎士生活の道具立てには不可欠であった。それは取り立てて重要なものでもないかもしれないが、ともかく取り立てて不快なものでもなかった。

『文明化の過程』上巻P397-398

現代のわたしたちから見ると、悪夢でしかない風景画ですが、中世時代の騎士の社会にとっては、ここに描かれているものはごく自然のことで、違和感のない普通の生活であったとのことです。『中世家庭本』は何枚かの風景画があり、いずれも騎士たちは優雅で、それ以外の人たちは労働し、騎士との対比を意図的に描いて満足を得ていたと考えられます。

武人や貴族が余暇を楽しみ、かれらのために他のものたちが労働することが、苦痛ではなく、この世の自然で自明な秩序なのである。人間同士の同等視は欠けている。すべて人間は「平等」であるという考え方などは、この時代の生活には微塵も存在しない。まさにそれが故に、おそらく労働するものの姿も痛ましさや恥じらいの気持ちを引き起こさなかったのである。

『文明化の過程』上巻P398

しかし、『中世家庭本』が出版された1480年頃には、戦士貴族である騎士階層は『礼儀作法』で次第に自己抑制が始まりつつありますが、それ以外の市民階層については特に自己抑制する必要もなく、対比的な構図としてこの時代を生きていきます。ここまでが「お行儀が良くなる」歴史と、最後に中世の騎士がどのような立ち位置でいたかを確認しました。次からは、封建社会から絶対王政社会への変化を追っていく第三部となります。

[第3部] 遠心力から求心力へ

ヨーロッパの国々は統一と分解を繰り返していったと言っても過言ではないでしょう。エリアスは「国が分解する」原因を「遠心力」が働くと言い、統一の原因を「求心力」が働くと言います。

遠心力

かつては遠心力が働き、分解しやすくなっていましたが、では遠心力はなぜ働いてしまうのでしょう。

昔は国王は自分の国の領土を地方の領邦君主に管理をさせていたが、その報償として土地を授けていました。「国王がかれらに有利なように割り当ててくれた土地を文字通り私物化」(『文明化の過程』下巻P24)していきます。

そうなると、暴力で土地を奪ってパワーを強めたり、国王の座を狙おうとしたりすることで、中央政府に歯向かいやすくなります。ここでは中世の騎士が得意とする「暴力で解決する」方法を使うので不安定です。

求心力

12世紀頃になると都市を中心に貨幣を使った経済が進んでいきます。国王も報償として与える土地もなくなってきたので、給与としてお金を支払うようになります。

とはいえども給与と地元の農民から搾取する農作物だけではあまり贅沢できなくなってくるので、軍も増強できないし、パワーが低下していくと同時に、貴族としての地位もあるので、「無礼」なこともできなくなっていきます。

なので、大切な給与をもらうためにも、国王に対して従順になっていくようになります。

このようにフランス遠心力から求心力を持つ国に移行し絶対王政社会になっていきます。

[第3部] 人間の役割の細分化と相互依存の強化

文明化の過程を理解する上で重要な社会過程

かつては、消費者は生産者から直接調達してモノを入手していた(自然経済)が、貨幣経済が進んでいくと、消費者は都市内の販売店でモノを買うことで、自然経済のときのような生産者から直接調達することはなくなりました。

これは貿易が盛んになったり、交通路が整備されて陸上での移動が簡単になったりすることで実現されていきます。エリアスはこのような複数の人々が関わることを「編み合わせ」という言葉で表現し、いまの社会は「編み合わせ」から成立すると言います。

このように社会が編み合わされていくと、「モノを販売する人に依存して、モノを買う」というように、自分だけでなく様々な人々に「依存」していきます。さらに「つくる人・加工する人・販売する人」のように、機能分担も進んでいき「人々の役割が細分化」されていくと言います。

[第3部] 肉体的暴力と租税の独占

肉体的暴力と租税の独占

遠心力を持っていた時代は、騎士たちは隣の土地が欲しいから「自分の思うままに」暴力で奪い取っていましたが、国王から給与を支払われる立場となり、傭兵が中心となる軍を形成するための資金もなくなり、軍隊が都市を守るためのお金「援助金」を市民が払うという形でスタートした「税金」は、そのうち国王は貴族たちにも負担させるようになった。

そうすることで、領邦君主たちである貴族は弱体化していき、「求心力」が働き、絶対王政が実現されていきます。このようにして国家というものが成立していきました。

確かに今の日本でも同じで、「肉体的暴力」がおおやけに許されているのは警察や自衛隊だし、税金は国や自治体が取っているので、「肉体的暴力と租税の独占」は国を成立するための重要な要素になっています。

ここでは、「遠心力から求心力」「細分化と相互依存」「肉体的暴力と租税の独占」の3点を紹介しましたが、本にはもっと細かな面白いことも書かれているので、ヨーロッパ社会の変遷はこれだけではないことにご注意ください。次はまとめ「文明化の理論のための見取図」を見ていきます。

[まとめ] 自己抑制を迫る社会的圧力

「人間の役割の細分化と相互依存の強化」が進んでいくと、いろいろな人と「剣を持って」交渉する訳にはいかなくなります。昔も色々と気にかけてはいたけど、もっと細かい気の掛け方をしていくようになる例として田舎道と都会の大通りでの気の使い方の違いを挙げています。(『文明化の過程』下巻P338)

田舎道と大都会の大通り

中世の田舎道では「戦争に巻き込まれること」や「盗賊に襲われること」を気にして歩いていかないといけません。生死がかかっているので常に「戦う構え」でいます。

それに対して都会の大通りでは、「戦争に巻き込まれたり」「盗賊に襲われたり」する心配はないので、そういう意味での生死がかかっていませんが、自由気ままに歩いていると「自動車に跳ねられたり」して命を落とす場合もあるし、自由気ままにに歩いて「他の人にぶつかったりする」ので、しっかり自分でコントロール(抑制)して歩く必要があります。

このように人々の関係(編み合わせ)に対して、気を使う点が異なると説明しています。中世の時代には暴力から身を守ることが最重要事項でしたが、現在は、戦いなどの肉体的暴力は国家が軍や警察などで代わりにやってくれる「肉体的暴力の独占」が実現しているので、そのあたりは考える必要は少なくなりました。エリアスはだからこそ、「自分で自分を抑制して」生きて行く社会になったといいます。

あらゆる「文明化された」人間の行動に決定的な特徴として現れる
心理的自己抑制装置の独特な安定性は、
肉体的暴力の独占機構の形成、社会の中心となる機関の安定性と密接な関係がある。

こうした安定した独占機構が形成されて初めて、
個々の人間に幼いときから正確に規制された絶えざる自己抑制を習慣づける
社会の形づくり装置が生まれてくる。

『文明化の過程』下巻P340

[まとめ] 戦士の宮邸化

戦士の宮廷化

自由気ままにやっていた中世の騎士たちは、領地を拡大し富を増やしていくと、宮廷騎士となり、周囲の貧乏な騎士たちが集まり小集団を形成していく。まだ未完成であるが、城館を住まいとして、上流階層を形成していく。

そして貨幣経済・分業化(細分化)が行われ、国王による「暴力と租税の独占」により絶対王政が完成すると、宮廷貴族となり、絶対王政内での上からや下からの圧力に押され過酷な自己抑制をしつつ生きていくこととなります。

宮廷内では礼儀作法本に書かれたような自己抑制された振舞いを、幼いときから内面化していきます。ではなぜそこまでして自己抑制された振舞いに固執するのかと言うと、

「上流」階級に属すということ、そのなかにとどまりたいという欲求が個々の人間に加える強制は、ただの糊口の道をみつける必要からくる強制に劣らず強烈で、それに劣らず抑制的である。二種類の動機が二重になって切り離すことのできない鎖のようにこれらの階層の一人ひとりの人間の周りに巻き付いている。

『文明化の過程』下巻P388

「生活水準と威信を守りたい」「貴族から没落したくない」というのが動機で、そのためには過酷な自己抑制も「やらざるを得ない」ということにすぎないことがわかります。「上品さ」は積極的な人間理性ではなさそうです。

[まとめ] 羞恥心と不快感

羞恥心と不快感

文明化が進んでいき、自己抑制が強くなっていくと、「自己抑制できているかどうかの不安」が登場する。

自分の内面に対する不安は「羞恥心」で、他人に対して感じる不安は「不快感」だという。

いずれれも幼いときから「礼儀作法本」などの教育により内面化(意識的に考えずに反射的に行う超自我)されていった「社会の禁止の目盛り」(社会規範)を突破するときに発生する不安です。

「他人の前で裸になる」を例にエリアスはいいます。

そして階層間の壁が崩れ落ち、すべての人の機能上の相互依存度がさらに高まり、社会のなかですべての人が以前よりも社会的に何段階かより平等になると、そのとき初めて徐々に、どんな人の面前であれ、他人の前で裸になることが一定の狭い飛領地の外でも仕来り違反になっていき、そのとき初めてこうした行動が個々の人のもとで幼いときから非常に大きい不安で覆われ、その結果、禁止のもつ社会的性格が個々の人間の意識から全く消え失せ、羞恥心が全く自分自身の内面からでてきた掟のように思えてくるのである。

『文明化の過程』下巻P425
イド・自我・超自我

先ほどから登場する「超自我」というのはフロイトの用語で、人間のこころの構造は「イド」「自我」「超自我」の3つに分かれているといいます。

「自我」は通常の判断などを行う部分ですが、「イド」は「思いのままにやりたい!」と思う無意識の部分で、「超自我」は幼い頃から両親などから教育を受けた「しつけ」による部分を指します。そして、「自己抑制」は子どもの頃から内面化されフロイトの「超自我」的に「当たり前・当然」と自動的/無意識に判断するように動作します。

このように文明化していくと「自己抑制」を駆動力として、外面的にも内面的にも不安を感じることが多くなっていきます。

[まとめ] 区別への欲求

区別への欲求

エリアスは「不安」が「文明化」を加速させる原動力にもなるといいます。絶対王政では貴族だけでなく、ブルジョワ階級も宮廷に入ってくることになり、もはや貴族は追いやられてしまう「不安」を感じるようになります。

そのため、貴族は「ブルジョワとは違うぜ」という区別をするために、「礼儀作法」「奢侈」を加速させていきます。貴族たち「奢侈」を極め「区別」をしていくものの、ブルジョワたちは「貴族のように振舞いたい」ため、「奢侈争い」が激化していきます。

そして最初はブルジョワの振舞いはぎこちない(『ディスタンクシオン』に登場するプチブルのように)ですが、経済力は圧倒的にブルジョワの方があるため、宮廷は大赤字になっていき、体制を維持するために貴族から税金を徴収する政策を打ち出すが、貴族からは反対され、それがキッカケでフランス革命に突進していきます。

ソースティン・ヴェブレン(1857-1929)の『有閑階級の理論』で書かれている「顕示的消費」のような「区別」をしていたが、「経済力を持つ」ことが貴族としての名誉と関係がなかったことから、この時代の貴族は「区別争い」の戦いには負けてしまいました。しかし、この「区別争い」があったから、「文明化」は進んだということが言えます。やはり「文明化」は歴史的に作られたもので、全く普遍なものではありませんでした。

おわりに

個人的に「区別の歴史」だというスタート地点から読んでいきましたので、最後は「区別」で終わらせました。

全体のまとめとしては、「文明化」は「誇らしい自己意識」でしかなく、それらは「貨幣経済化」「暴力の独占」「租税の独占」から生じた社会の編み合わせの中で発達する「自己抑制」を人間が人間に強制させることで人間に「不安」を内在させていく過程にすぎないことがわかりました。「まとめ」の最終章『全体的な展望』でエリアス自身がこの研究でわかったことを書いているので引用します。

われわれの社会の行動様式の基準、モデル化によって個々の人間に幼いときから一種の第二の天性として刻み込まれ、強力な、さしあたりは次第に厳密に組織化されていく社会的監視によってかれの中に絶えず目覚めたままの状態で保たれているこの基準、それは普遍=人間的なそして非歴史的な目的から理解されてはならない、ということがこの研究で明らかになった。

それは歴史のなかで形成されたものとして、ヨーロッパの歴史の全関係から、ヨーロッパの歴史の経過のなかで形成された特殊な人間関係の結びつき方の形式から、そして形成期を作り上げる編み合わせの持つ強制から理解されねばならない。このような基準は、われわれの行動様式すべての調整と同じように、われわれの心の機能全般の構造と同じように、多層的である。

『文明化の過程』下巻P464

特に自由意志で作られていたものではなく、普遍的なものでもなく、人間関係の編み合わせから強制的に発生したものにすぎないと書かれています。

結局、「区別するという行為」自体も、大勢の中にいる人間のなかのポジションをどうするか、ということで決まってくることだということで、好き好んでやっているという恣意的なものというより社会的にそうせざるを得ないということです。

最後にエリアスは、このように「不安」を抱えながら生きていく時点で「まだ文明化の途中」であるという。社会を構成する人々が「社会から要求されること」「個人的嗜好と欲求」一致する状態になって始めて「自分たちは文明化されている」と言えると。

人間のいろいろな社会的役割の間の恒久的均衡、あるいはむしろ完全な一致、一方にかれの社会的存在から発するすべての要求があり、他方にかれの個人的嗜好と欲求があって、両者の間の永久的釣り合いないし完全な一致が例外状態でなくなるのである。人間同士の結びつきがこのような状態になったとき初めて(中略)人間は最大の正当さをもって、自分たちは文明化されている、ということができるであろう。そのときまでは人間は、精々のところ文明化の過程のなかにいるに過ぎない。そのときまではかれらはつねに新たに、「文明化はまだ終わっていない。まだ進行中である」と言わざるを得ないであろう。

『文明化の過程』下巻P475

著者について

tadashi torii
鳥居 斉 (とりい ただし)

1975年長崎生まれ。京都工芸繊維大学卒業、東京大学大学院修士課程修了、東京大学大学院博士課程単位取得退学。人間とモノとの関係性を重視した、製品の企画やデザイン・設計と、広報、営業などのサポートの業務を行っています。

2013年から株式会社トリイデザイン研究所代表取締役。芝浦工業大学デザイン工学部、東洋大学福祉社会デザイン学部非常勤講師。
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コラムでは製品を開発する上では切り離せない、経済学や社会学など、デザイナーの仕事とは関係なさそうなお話を取り上げています。しかし、経済学や社会学のお話は、デザインする商品は人が買ったり使ったりするという点では、深く関係していて、買ったり使ったりする動機などを考えた人々の論考はアイデアを整理したりするうえでとってもヒントになります。

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